記事「東京」 の 検索結果 67036 件
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伝馬町牢屋敷跡江戸に存在した囚人などを収容した施設で、現在は中央区立十思公園になっています。伝馬町牢屋敷は現代における刑務所というより、未決囚を収監し死刑囚を処断する拘置所に近い性質を持った施設だったそうです。
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彦根藩邸跡現在の憲政記念館のある場所がかつては加藤清正邸のあった所であり、その後、彦根藩上屋敷となった所です。安政7年3月3日(1860年3月24日)、大老井伊直弼はここから雪の中を江戸城へと向かいました。
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吉田茂像サンフランシスコ講和条約を締結するなど、戦後日本の礎を築いた政治家。ふくよかな風貌と、葉巻を愛したことから「和製チャーチル」とも呼ばれました。東京都千代田区の北の丸公園内に、吉田茂の銅像があります。
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練兵館跡練兵館は神道無念流の斎藤弥九郎の道場で、 高杉晋作、品川弥次郎、等幕末の志士が多数入門し、桂小五郎が師範代を務めていたとのことです。靖国神社の南門を入った所に碑が建てられています。
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塙検校和学講談所跡靖国神社南門交差点から南に150m程の距離の所に標柱がありました。塙保己一は7歳のときに病により失明しながらも、後に賀茂真淵らに師事して国史・古典を学び『群書類従』670冊刊行の大事業を成し遂げました..
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法務省旧本館東京都千代田区霞が関に旧司法省庁舎として明治28年(1895年)に竣工したドイツ・ネオバロック様式の歴史主義建築で、国の重要文化財です。この敷地は江戸時代には、米沢藩上杉家藩邸(上屋敷)だったそうです..
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霞が関跡霞が関は中世から東国の名所として広く知られていた奥州街道の関所でしたが、それがここのことなのか、諸説があり、定かではないとのことです。現在は、日本の行政機関の庁舎が建ち並ぶ地域として知られています。
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伊予松山藩三田中屋敷跡東京都港区三田二丁目の、現在はイタリア大使館になっている伊予松山藩三田中屋敷で、元禄16年(1703年)2月4日、幕府の命により、大石主税(良金)以下10名の赤穂浪士が切腹しました。
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綱坂東京都港区三田二丁目にあり三田綱坂、或いは、渡辺坂とも呼ばれる坂。平安時代の武将、渡辺綱がこの付近で生まれた、という伝説があり、それが坂の名の由来とのことで、近くには、産湯を汲んだ井戸などもあるそうで..
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水野監物邸跡水野監物邸跡は東京都港区芝にある三河岡崎藩主・水野家の中屋敷跡。赤穂事件で吉良上野介の屋敷に討ち入った赤穂浪士47士のうち9名が幕府の沙汰を待つためにお預けになった処で、元禄16年(1703年)2月4..
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済海寺東京都港区三田四丁目、竹芝伝説の「竹芝寺」の跡地にある浄土宗のお寺。元和7年(1621年)牧野忠成と念無聖上人によって創設され、越後長岡藩主牧野氏や伊予松山藩主松平氏などが、江戸での菩提寺としていたそ..
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フランス公使宿館跡現在の東京都港区の済海寺とその西隣の富山県東京出張所敷地。安政6年(1859年)にフランス総領事館となり、2年後には公使館となって、明治7年(1874年)まで続いたそうです。