記事「東京」 の 検索結果 67036 件
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歯科医学教育発祥之地東京都港区三田の伊皿子交差点に面して 黒御影石の碑が建っています。高山紀斎は、明治23年(1890)年1月、 わが国最初の歯科医学校として、この地に、高山歯科医学院(現在の東京歯科大学)を設立しました..
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東禅寺東京都港区高輪にある臨済宗妙心寺派のお寺。幕末に日本初のイギリス公使館が置かれていて、文久元年(1861年)と翌文久2年(1862年)の2回にわたり、英国人への襲撃事件が起きた所です。
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薩摩藩下屋敷跡JR品川駅の西側一帯、ホテルの建ち並ぶ辺りが薩摩藩下屋敷跡とのことです。文久2年8月21日(1862年) 、 島津久光は高輪薩摩藩下屋敷から京に向けて出発し、途中の生麦村で英国人殺傷事件(生麦事件)が..
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首塚・七重の塔八幡太郎義家が奥羽征伐で獲った蝦夷の首48首をこの地に埋めて四十八塚を築き、これが小塚原の地名の由来とのことです。首塚の上に建っているのが、円通寺の由緒が刻んである七重の石塔です。
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大鳥圭介追弔碑大鳥圭介は幕府の歩兵奉行などを歴任し、戊辰戦争では函館五稜郭で蝦夷共和国の陸軍奉行として新政府軍と戦いました。維新後は、明治新政府で駐清国特命全権公使などを歴任した人物です。南千住の円通寺に追弔碑があ..
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死節之墓戊辰戦争の賊軍の戦死者の供養は当時は難しかったのですが、三河屋幸三郎が向島の別荘に秘そかに供養していて、それを円通寺に移したものとのことです。土方歳三、近藤勇、など九十七の名前と「神木隊二十八名」と彫..
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彰義隊士の墓(円通寺)慶応4年(1868年)5月の上野戦争で戦死した 彰義隊士の遺体を円通寺の23世「大禪佛磨大和尚」が決死の覚悟で供養した事により、官許が下り、遺骸266体を上野山で荼毘に附した後、円通寺に埋葬できたとの..
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黒門(円通寺)慶応4年(1868年)5月15日、上野東台に於て、彰義隊と官軍との激戦が展開され、その激戦の中心地に建っていたのがこの黒門でした。その黒門が明治40年10月、帝室博物館より圓通寺に下賜せられたとのこと..
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池田屋敷跡寛文元年(1661年)から幕末まで、旗本池田播磨守の屋敷がここにあり、当時はここに、16000㎡の屋敷と隣接して抱屋敷があったとのことです。現在は明治通りの南側、荒川区東日暮里1丁目になっています。
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永昌寺東京都台東区東上野にある浄土宗のお寺。肥前藩主松浦壱岐守の妻、永昌院が開基であるための寺号であるとのことです。加納治五郎がここに講道館を設立し、講道館柔道発祥の地となっています。
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下谷神社東京都台東区上野にある、大年神、日本武尊を祭神とする神社。元は不忍ヶケ岡にありましたが、寛永寺造営時にこの地に移転したとのこと。寛政10年に江戸で初めて寄席が行われた地でもあるそうです。
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大原重徳墓大原重徳は孝明天皇に重用され、文久2年(1862年)には勅使として江戸で幕府に強く迫り朝廷の意向を幕府に飲ませた幕末・明治期の公家。明治12年(1879年)に亡くなり、墓は東京の谷中霊園にあります。