記事「東京」 の 検索結果 67036 件
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巣鴨地蔵通商店街巣鴨地蔵通りは、中山道の始点日本橋から出発して最初の休憩所が、江戸六地蔵尊眞性寺から巣鴨庚申塚の間に点在し、そこに町並みが作られたのが始まりとのこと。旧中山道であり、江戸の中期から現在にいたるまで商業..
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大塚 ゆかりの地文京区大塚の貞静学園の場所に、かつて「大きな塚」があり、それが大塚の地名の由来とのこと。この大塚は古くから古墳とか、中世の塚や物見やぐらの跡だったとも言われてきたそうです。また、貞静学園の改築に伴い、..
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しばられ地蔵東京都文京区の林泉寺にあるお地蔵さま。昔から「盗難や失せ物があると、地藏尊に縄をかけ、願いが叶うと縄をほどく」 と言う変った風習があり、現在も荒縄で全身をぐるぐる巻きにされています。「大岡政談」の話に..
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路女墓土岐村路は曲亭馬琴の嫡子滝沢宗伯興継の嫁でしたが、宗伯の死去後は馬琴夫婦と同居。そして、馬琴の失明後は、馬琴の作品の口述筆記を行い時に琴童の名で代作も行ったとのことです。筆記者として苦難を乗り越え貞女..
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滝沢馬琴墓滝沢馬琴は「南総里見八犬伝」「椿説弓張月」など、多数の作品を残した江戸時代後期の著名な戯作者。著作堂、蓑笠、玄同、など多くの別号をもち、晩年は髪をおろして曲亭馬琴と号したとのこと。東京都文京区の深光寺..
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茗荷谷東京都文京区の小石川台地と小日向台地の間の浅い谷は、江戸時代には茗荷畑が多かったので「茗荷谷」と呼ばれていたそうです。現在は茗荷の本格的な栽培は行われていませんが、拓殖大学のキャンパス脇の小さな畑で、..
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切支丹坂切支丹坂の名称の由来は、切支丹屋敷に近いからとのこと。しかし、切支丹坂の場所は多数あり、どの坂が真の切支丹坂かは未だに分かっていないとのことです。この写真の坂は、切支丹屋敷跡から一番近く、文京区公認の..
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切支丹屋敷跡正保3年(1646年)に、大目付兼宗門改役であった井上政重の下屋敷内に牢や番所を建てて設けられたのが切支丹屋敷。禁教下の日本に上陸した外国人宣教師等がここに収容され尋問を受けました。火災で焼失後、再建..
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小日向神社天慶3年(940年)に、文京区水道2丁目付近にあった曹洞宗日輪寺の蓮華山に創建された氷川神社と、貞観3年(860年)に創建され、古くからこの地域の氏神さまとして里人に親しまれていた田中八幡が、明治2年..
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服部坂この坂の上には江戸時代、服部権太夫の屋敷があり、それで「服部坂」と呼ばれたとのことですが、その服部氏屋敷跡には、明治2年(1869年)に小日向神社が移されています。また、作家の永井荷風は眺望の良い坂の..
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扇塚と芭蕉句碑浅草寺近くの弁天堂の下に、扇塚と芭蕉句碑が並んで建てられています。扇塚は日本舞踊で使用し古くなり、使えなくなった扇子に感謝し供養する処。また「くわんのんの いらか見やりつ 花の雲」の句が刻まれた芭蕉句..
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浅草寺東京都台東区浅草にある都内最古のお寺。観音菩薩像を本尊にしていることから浅草の観音様として親しまれています。雷門の大提灯、雷門から本堂をつなぐ仲見世などが広く知られいます。