記事「東海道五十三次 静岡市を歩く」 の 検索結果 56 件
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東海道53次 宇津ノ谷峠宇津ノ谷峠越えのルートには、蔦の細道、旧東海道、明治トンネル、大正トンネル、昭和トンネル、平成トンネルと6つのルートがあります。最も古いのが蔦の細道で伊勢物語の中でも詠われています。その後、豊臣秀吉が..
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東海道53次 宇津ノ谷集落慶龍寺を少し進むと宇津ノ谷集落がある。静かな山間にある40軒程の集落で丸子宿と岡部宿の中間から間宿(あいのしゅく)と呼ばれたが宿泊は出来ず休憩の場所として使用された。軒先には屋号の看板が掲げられている..
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東海道53次 宇津ノ谷峠への道5東海道の二軒家まで戻り宇津ノ谷を進むと慶龍寺に出合う。宇津山慶龍寺は曹洞宗のお寺で天正6年(1578年)歓昌院第四世宗旭和尚が開いた。本尊は十一面観世音菩薩。このお寺は鬼退治に使われたとされる十団子(..
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東海道53次 興津宿の2宗像神社を後にして奥津駅方面に歩いていくと身延道追分がある。身延道は、元々駿河と甲斐を結ぶ交易路を戦国時代、武田信玄によって軍用路として整備された。江戸時代に入り身延山久遠寺の参拝道として使われるよう..
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東海道53次 宇津ノ谷峠への道1丁字屋から一旦右へ折れて丸子川沿いを進み国道1号線を超えて少し行くと右手に駿府匠宿があります。駿府匠宿は今川、徳川時代から栄えた伝統工芸を体験出来る施設です。駿府工芸館では大型スクリーンで静岡の伝統工..
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東海道53次 宇津ノ谷峠への道4誓願寺を出てさらに北へ1キロ程歩くと大鈩不動尊があります。武田信玄の守り本尊、愛宕山大権現と不動明王堂が建っています。滝の周囲には300体以上のお地蔵さんが並んでおり夏でも涼しく別世界に迷い込んだよう..
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東海道53次 宇津ノ谷峠への道3東海道の丸子橋まで戻り橋を渡って元宿、二軒家まで歩き交差点を北へ5分ほど進むと誓願寺に着く。大鈩山誓願寺は臨済宗妙心寺派のお寺で建久3年(1119年)源頼朝が両親の菩提を弔うために建立された。武田軍と..
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東海道53次 宇津ノ谷峠への道2駿府匠宿を北に500メートル程進むと吐月峰柴屋寺(とげっぽう、さいおくじ)があります。今川氏に仕えた連歌師、宗長が永世元年(1504年)草庵柴屋軒を建てた。これが柴屋寺の始まりです。京都、銀閣寺を模し..
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東海道53次 丸子宿の3三州屋を後にして歩いていくと右手に「平家物語」に出てくる「千寿の前」の由来の案内板があり、十返舎一九の碑、松尾芭蕉の句碑、駿府城の石垣に使うはずだった辰石などが並んでいて安藤広重の浮世絵にもなったとろ..
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東海道53次 丸子宿の2松並木あとの看板を過ぎしばらく行くと丸子宿の道標が立っています。丸子宿は東海道53次の20番目の宿場で本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠24軒、家の数211軒と宿場の中では、最も小さかったとされています。丸子..
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東海道53次 丸子宿の1安倍川を渡り手越、佐渡を過ぎると丸子宿の手前に地蔵堂があります。この地蔵堂は子授け地蔵尊と言われ子供に恵まれない夫婦がここの地蔵を借り受けて信仰すれば子供が授かったとされます。地蔵堂を過ぎてしばらく歩..
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東海道53次 府中宿の8七間町、人宿町、新通りと進み駒形通りを歩いていくと左側に大鳥神社と双街の碑が立っている。駿府に隠居した徳川家康が鷹匠だった伊部勘右ェ門に二町四方の土地を与えて遊郭を作らせた。これが通称、二丁町と呼ばれ..
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