記事「東海道五十三次 静岡市を歩く」 の 検索結果 56 件
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東海道53次 府中宿の7七間町と呉服町が交差する四辻が札の辻町といった。地名は、ここに高札場があったことに由来する。少し南へ下がって国道1号線近くの下魚町(現在は常盤町)に金米山宝台院がある。初めは龍泉寺といったが、その後宝..
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東海道53次 府中宿の6静岡市葵区紺屋町にある浮月楼は元徳川幕府の代官屋敷だったが徳川慶喜公が謹慎により水戸から常盤町の宝台院に閑居の後、明治2年から21年間住んでいた。明治22年(1889年)静岡市制施行により市有財産とな..
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東海道53次 府中宿の5駿府城は天正13年(1585年)徳川家康により築城を開始し天正17年完成し居城となり亡くなるまでの9年間駿府で過ごした。現在は駿府公園として市民に開放され東御門、巽櫓が復元されている。巽櫓の中は駿府資..
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東海道53次 府中宿の4伝馬町通りを進むと左手に久能山東照宮道の標柱が立っており久能街道はここから始まっている。上天満町には本陣、脇本陣の石柱や宿絵図の看板がありここが府中宿の中心だったことがわかる。江川町交差点手前右側に西..
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東海道53次 府中宿の3下伝馬町に入ると左手に宝泰寺門前町通りがあり臨済宗のお寺金剛山宝泰寺が建っている。興津の清見寺、静岡の臨済寺と並んで駿河三刹と呼ばれた。徳川家康が朝鮮通信士を迎える際この寺を休憩所にあてた。幾度となく..
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東海道53次 府中宿の2西宮神社を過ぎて交差点を越えると伝馬町、旧上横田町、旧鋳物師町と続く。現在は横田一丁目、伝馬町、日の出町になっている。その先の花陽院門前町の標柱を右に入っていくと、玉桂山華陽院がある。このお寺は家康の..
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東海道53次 府中宿の1府中宿は東海道53次の19番目の宿場です。駿河の府中で駿府ともいった。本陣2軒と脇本陣2軒旅籠43軒と東海道の中で大津宿に次ぐ大規模な宿場だった。府中宿の東の入口は下横田町見付で、ここから猿屋町、院内..
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東海道53次 府中宿への道7谷津山の北側麓には貞松山(みまつさん)蓮永寺があり家康の側室だったお万の方の墓や勝海舟の母、信子と妹で佐久間象山の妻だった順子の墓もある。護国神社を過ぎ柚木、春日町と進むと音羽町手前に清水寺がある。永..
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東海道53次 府中宿への道6古庄、長沼と歩いていくと、右手は寺町になり沓谷の菩提樹院に由井正雪の首塚がある。正雪は慶安の乱の発覚で自害し安倍川河原で晒し首になったが首を盗み出した女性が菩提樹院に埋葬したとされる。少し先へ進むと谷..
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東海道53次 駿府宿への道5草薙神社の鳥居を過ぎ国吉田、栗原と進むと旧東海道記念碑が建っている。東海道は国鉄東海道線によって分断され迂回路となる北村地下道で古庄へ抜ける。静岡市池田の東静岡駅前にあるグランシップ横には曲金北遺跡の..
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東海道53次 府中宿への道4子安地蔵尊(十七夜山千手寺)を過ぎてしばらく歩き南幹線との合流地点に有度の道標があり、戻ると江尻宿、進むと府中宿となる。合流地点を少し行くと右手に東海道の草薙一里塚の石碑が建っている。江戸から43番目..
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東海道53次 府中宿への道3平川地を過ぎ上原へ入ると左手に上原子安地蔵尊が建っている。上原は初め地蔵原といわれていたが室町時代後期に上原と改められている。戦国時代は、この地蔵堂が重要な戦略地点だったようだ。明治24年9月、失火に..