記事「横浜開港」 の 検索結果 41 件
-
馬車道横浜港開港で、関内(「吉田橋」の関門より港側)に外国人居留地が置かれた。その関内地域と横浜港を結ぶ道路のうちの一つとしてこの道は1868年に開通した。外国人はこの道を馬車で往来して..
-
日の出湧水大岡川に架かる黄金橋の西の袂近くにある湧水。野毛山近くの日ノ出町周辺は自然の湧き水の豊富な地域で、明治の初め頃から、横浜港に寄港する船舶に飲用水を提供していたそうです。この湧水も野毛山が水源と考えられ..
-
横浜元町元町は横浜を代表する商業地の一つとして有名な商店街。横浜開港に伴って立ち退いた旧横浜村住民がこの地に移住したことから「横浜元町」と呼ばれるようになったそうです。
-
英一番館跡横浜が開港したのは安政6年6月2日(1859年7月1日)のことで、開港と同時に多くの外国商社が横浜に進出してきました。ここは居留地1番地で、英国商社ジャーディン・マセソン商会横浜支店が店舗を構えたとこ..
-
神奈川台関門跡横浜開港後、生麦事件をはじめとする何件かの外国人殺傷事件が発生。幕府は警備のため、安政6年(1859年)に横浜周辺に番所や関門を設置しました。そして、神奈川宿の西側に設置されたのが、この神奈川台関門で..
-
開港広場安政元年(1854年)3月3日、横浜の海岸のこの場所で日米和親条約が 結ばれ、それを記念して昭和57年(1982年)につくられたのがこの公園。 このすぐ近くには、玉楠の木、応接所跡(現神奈川県庁)など..
-
岩亀楼の石灯籠岩亀楼は横浜開港後に現在の横浜公園のある所につくられた港崎遊郭の中にあった遊女屋の一軒で、国際社交場として最も繁盛していたそうです。 港崎遊郭には15軒の遊女屋があり、331人の遊女がいたそうです。
-
神奈川運上所跡運上とは現在の言葉で言うと税金のことで運上所とは税関のこと。しかし、当時の運上所は税関、外交、港湾などに関する総合的な役所でした。神奈川県庁本庁舎敷地内に神奈川運上所跡の碑が建っています。
-
西洋理髪発祥之地横浜の山下公園の中に「ザンギリ」という彫刻名の碑が建てられています。 明治2年(1869年)、横浜に我が国初の「西洋理髪店」が開業され、欧米風 の「ザンギリ頭」は文明開化の一翼を担うこととなりました。..
-
浄瀧寺横浜市神奈川区幸ケ谷にある日蓮宗のお寺で、山号は妙湖山。日蓮聖人に感服した妙湖尼が、自分の庵を法華経の道場にしたのが始まりとのこと。幕末の横浜開港時にはイギリス領事館に充てられました。
-
成仏寺横浜市神奈川区にある浄土宗の寺院。山号は正覚山で院号は法雨院。横浜開港の際に本堂が外国人宣教師の宿舎になり、ヘボン博士、宣教師のブラウンやバラーなどが滞在したそうです。
-
良泉寺横浜市神奈川区新町にある真宗大谷派のお寺。横浜開港当時、諸外国 の領事館に充てられることを快良しとしないこの寺の住職は、本堂の屋根をはがし、修理中であることにして断ったそうです。
- 前へ
- 次へ