記事「横浜」 の 検索結果 23652 件
-
益田家のモチノキ横浜市戸塚区柏尾町に生育していたモチノキの大樹で、通称「相模モチ」。 樹齢約300年と推定され、江戸時代以来、東海道沿いにその威容を誇ってきた歴史的価値のある樹木として県指定天然記念物となっていました..
-
品濃坂上品濃坂は旧東海道が環状2号線を歩道橋で跨ぐところにある坂。江戸時代には、朝早く江戸を発ち戸塚宿で泊まる旅人には宿場町までもう一歩の所で、江戸方面へ向う旅人にとっては境木の立場まであと一息のところでした..
-
品濃一里塚横浜市戸塚区にある一里塚の跡。東海道には江戸初期、日本橋を起点として一里(約4km)ごとに、道の両側に土を高く盛った塚が築かれました。江戸から9番目の品濃一里塚は、保存状態が良く県の史跡に指定されてい..
-
焼餅坂横浜市戸塚区、旧東海道を境木地蔵尊から信濃一里塚に向かう途中にある坂。昔、焼餅を売る茶店があったことから坂の名になったといわれ ていますが、別名牡丹餅坂とも呼ばれています。
-
境木地蔵尊横浜市保土ヶ谷区にある地蔵尊。鎌倉の腰越海岸に流れ着いたお地蔵さまが境木が気に入ってその場に座り込み、村人が地蔵堂を作り安置したところ参拝客が集まり、ぼた餅屋ができるなどで村が繁盛したそうです。
-
武相国境之木横浜市保土ケ谷区の旧東海道の権太坂頂上が、かつて武蔵国と相模国との国境になっていました。江戸時代にはその印の木柱が建てられていて、それが境木の地名の由来となっているそうです。
-
境木立場跡宿場と宿場の間に馬子や人足の休息のためなどに設けられたのが立場。 境木の立場は権太坂、焼餅坂、品濃坂と難所が続くなか、西に富士、東に江戸湾を望む景観のすばらい高台で、旅人が必ず足をとめる名所でした。
-
投込塚之跡旧東海道から少し外れた現在の横浜市保土ヶ谷区の境木中学校から少し東に行ったところにある投込塚跡。権太坂はきつい坂で、東海道を旅する旅人の行倒れも多く、この辺りに亡くなった人を投げ込む塚があったそうです..
-
茶屋本陣跡(程ヶ谷宿)保土ヶ谷宿には本陣1軒、脇本陣3軒、それに1軒の茶屋本陣があったそう です。茶屋本陣は門構を持つ茶屋で、本陣としての特権を持ち、本陣を休息所としない多くの大名がここで休息したと伝えられています。
-
上無川跡上無川は神奈川本宿の、中の町と西の町の間の道を横切って流れていた川。 カミナシガワのミとシを略してカナガワというようになったとの説があります。 現在は埋め立てられていて、神奈川小学校東脇に記念碑があり..
-
良泉寺横浜市神奈川区新町にある真宗大谷派のお寺。横浜開港当時、諸外国 の領事館に充てられることを快良しとしないこの寺の住職は、本堂の屋根をはがし、修理中であることにして断ったそうです。
-
横浜税関本館庁舎昭和9年(1934年)に、帝都復興事業の一環として建設された建物で、 通称「クィーンの塔」とも呼ばれ、横浜三塔の一つに数えられています。 資料展示室もあり、税関で押収された密輸品などが展示されています..