記事「横浜」 の 検索結果 23652 件
-
大塚・歳勝土遺跡横浜市都筑区にある弥生時代中期の遺跡。大塚遺跡は弥生時代中期の環濠集落で、弥生時代の大規模な環濠集落が完全な形で発掘されたのは極めて稀有な例だそうです。 歳勝土遺跡は、大塚遺跡に 住んだ人びとの墓地で..
-
さかさ矢竹二俣川の合戦で畠山重忠は討死にをしましたが、その間際に重忠は「我が心正しかれば、この矢に枝葉を生じ繁茂せよ。」と言い、矢を2本地面 に突き刺し、それが根づき毎年2本ずつ増え茂り続けたと伝えられています..
-
リチャードソン墓横浜の外国人墓地にある生麦事件の被害者リチャードソンの墓。 観光のために友人たちと川崎大師へ向かう途中の生麦村で運悪く島津久光の行列と遭遇。その際、騎乗のまま行列に乗り入れたために激昂した薩摩藩士に無..
-
外国人墓地横浜山手にある外国人墓地。嘉永7年(1854年)のペリーの2度目の来航の際、事故死した水兵を増徳院の境内に葬ったのが始まりとのこと。19世紀から20世紀半ばにかけて40ケ国余、4400人余りの外国人が..
-
横浜第二合同庁舎旧横浜生糸検査所で、現在は横浜第二合同庁舎。日本から輸出される生糸の品質向上を目的として生糸検査所が発足。大正15年(1926年)に再建さ れたこの建物は、横浜市認定歴史的建造物に指定されています。
-
神奈川県立歴史博物館神奈川県立歴史博物館は明治37年(1904年)に、横浜正金銀行本店として完成した建物で、この建物は歴史主義建築に属する明治30年代における代表的な洋風建築とのことです。昭和42年(1967年)から歴史..
-
日本最初のガス灯の碑現在の横浜市立元町小学校ある所に日本初のガス会社ができました。そして、明治5年(1872年)に、大江橋より馬車道、本町通りにかけて、日本初のガス灯が灯ったとのことです。
-
吉田橋関門跡安政6年(1859年)の横浜港開港の頃に吉田橋が架けられ、その橋に、外国人居留地とその外部を隔てる関門番所がおかれました。この関所の内側にあたる一帯は、現在でも関内と呼ばれています。
-
吉田橋日本初の無橋脚鉄製トラス橋で、日本で2番目の鉄製の橋梁として知られる橋。当時はこの橋の上に番所があり、通行料を支払わなければならなかったので、鉄(カネ)と通行料(カネ)の二つの意味から「カネの橋」と呼..
-
近代街路樹発祥の地街の景観を美しくするために、慶應3年(1867年)に導入された横浜の馬車道の街路樹が、日本近代街路樹の発祥のことです。当時は、手入れのしやすい柳と松が植えられたそうです。
-
青い目の人形日米の親善と平和を願う米国市民の思いをこめた13000体の青い目の人形 が、昭和2年(1927年)の春、ひな祭りにあわせて横浜港に到着しました。その中の一体 の人形(ポーリン)をモデルとした像が、横浜..
-
フランス山横浜市中区の港の見える丘公園の北側部分がフランス山と呼ばれています。 生麦事件などの外国人殺傷事件が相次いだため、文久3年(1863年)、 自国民を守る目的で、フランス軍が兵舎を構えたのがこの山でした..