記事「横浜」 の 検索結果 23653 件
-
相武国境之道相武の相は相模で現在の神奈川、武は武蔵で現在の東京のこと。相模の国と武蔵の国のこの国境に沿って、古代より国境の道と呼ばれる道があり、細いながらも海と内陸部を結ぶ重要な道となっていたそうです。
-
望欣台の碑望欣台の碑は、横浜開発に大きく貢献した高島嘉右衛門を顕彰した碑。高島嘉右衛門は、横浜開港期に鉄道用地の埋め立てや瓦斯事業などに数々の功績を残し、晩年はこの地に居を構えていたそうです。
-
本覚寺横浜市神奈川区高島台にある曹洞宗のお寺。横浜開港時には横浜港が一望できることから米国領事館が置かれ、生麦事件の時には負傷者が逃げ込み、手当てを受けたとのことです。
-
甚行寺横浜市神奈川区青木町にある真宗高田派のお寺。創建は明暦2年(1656年)で、意円上人によってなされたとのことです。また、横浜開港当時には、本堂がフランス公使館に充てられたそうです。
-
普門寺横浜市神奈川区青木町にある真言宗智山派のお寺。洲崎大神、大綱金刀比羅神社のもと別当寺であったそうです。横浜開港時には、イギリス士官の宿舎に充てられました。
-
権現山古戦場永正7年(1510年)に上杉氏の家臣であった上田蔵人が謀反を起こして北条氏に味方し、主家の上杉氏を相手に戦って敗れた古戦場です。現在は幸ケ谷公園になっていて、桜の時期にはお花見で賑わっています。
-
洲崎大神横浜市神奈川区青木町にある天太玉命、天比理刀売命を祭神とする神社。源頼朝が安房国一宮の安房神社の霊を移して祀ったのが始まりとのこと。横浜開港時には、開港場と神奈川宿を結ぶ渡船場が近くにあったそうです。..
-
神奈川台場跡横浜市神奈川区にある幕末期の江戸防衛を目的として築造された砲台跡。勝海舟が設計し伊予松山藩の築造により、万延元年(1860年)の竣工。明治32年(1899年)に廃止されるまで礼砲用として使用されていま..
-
宗興寺横浜市神奈川区幸ヶ谷にある曹洞宗の寺院で、山号は開塔山。横浜開港時には、ヘボン博士が施療所を開き医療活動を開始した場所。横浜の近代医学はここに始まったと云われています。
-
慶運寺慶運寺は横浜市神奈川区神奈川本町にある浄土宗のお寺。横浜開港時にはフランス領事館として使用されたこともあり、また、明治期に浦島伝説の伝わる観福寺と合寺し、浦島寺とも呼ばれています。
-
高札場(神奈川宿)東海道53次の3番目の宿場である神奈川宿に設けられていた高札場。高札場とは、幕府の法度や掟などを庶民に徹底させるための施設です。この高札場は、資料をもとに場所を移して復元されたものです。
-
港町魚市場跡明治7年(1874年)に高島嘉右衛門が生鮮食品市場を開いた場所。当時は川が傍を流れ、物流の便の良かったところだったそうです。昭和6年(1931年)に市場は中央卸売市場へ移転しました。