記事「横浜」 の 検索結果 23653 件
-
ビヤザケ通り横浜が開港し明治になると、居留地の外国人向けに、現在の北方小学校から麒麟園公園あたりにビール工場がつくられました。つくられたビールがこの坂を運ばれたということからの命名だそうです。
-
日本庭球発祥の地明治4年(1871年)、横浜山手に外国人専用の山手公園がつくられました。その山手公園に、明治11年(1878)年、日本初のテニスコートがつくられ、これが日本の庭球の始まりとのことです。 ..
-
日本ガス事業発祥の地明治3年(1870年)、高島嘉右衛門によって「日本社中」というガス会社が設立され、当時、伊勢山下石炭蔵跡であったこの地にガス工場がつくられました。そして、大江橋より馬車道、本町通りにかけて日本初のガス..
-
掃部山公園明治初期には鉄道開設に携わった鉄道技師たちの宿舎が建てられていたことから、鉄道山と呼ばれていました。その後、明治17年(1884年)に井伊家の所有となり、井伊直弼の官位である掃部頭から掃部山と呼ばれる..
-
北向地蔵享保2年(1717年)に、僧三譽伝入が天下泰平・国土安全を祈念するとともに、旅人の道中安全を祈願して建立したそうです。ここは「かなざわかまくら道」の分岐点であり、道案内も兼ねていたようです。 ..
-
御所台の井戸JR保土ヶ谷駅の近く、国道一号線から石難坂を上がっていく途中にある井戸。北条政子がこの井戸の水を化粧に使ったとの言い伝えがあり、「政子の井戸」とも呼ばれ、また、程ヶ谷宿苅部本陣でもこの水を料理に用いて..
-
金沢横丁道標横浜市の旧東海道の程ヶ谷宿金沢横丁に残されている道標4基。程ヶ谷宿周辺からは、金沢鎌倉道、八王子道、大山道、の各街道が分岐していて、その分岐点にたてられていた道標とのことです。
-
和田義盛塔横浜市旭区善部の妙蓮寺境内にある和田義盛の供養塔。妙蓮寺は地頭の宅間伊織が名主の和田四郎左衛門に命じて建立したとのことで、この地域が和田氏と何らかの関係があったようです。
-
旧大岡家長屋門横浜市瀬谷区阿久和東に長屋門公園があり、歴史体験ゾーンには、旧大岡家長屋門、旧安西家主屋、 土蔵、井戸、などの古民家が保存されています。また、自然観察ゾーンには、せせらぎの水辺などの杉林・散策路などが..
-
上總介塔上総介広常は上総・下総(現在の千葉県)を領していた大豪族で、広常の加担が源頼朝の安房での挽回を決定的なものにしました。しかし、謀反の疑いにより、梶原景時に暗殺され、供養塔がここに建てられています。
-
熊野神社(朝比奈)鎌倉市の十二所から横浜市金沢区に抜ける朝比奈切通しの途中に鎮座する神社。源頼朝が鎌倉の鬼門除けに紀州の熊野権現を勧請したと伝わって います。鎌倉というイメージですが、実際の所在地は横浜市金沢区です。
-
朝比奈切通し鎌倉と六浦港を結ぶ重要な交通路で、鎌倉七口の一つ。仁治2年(1241年)から、北条泰時の命により作られたと伝えられています。朝比奈義秀が一夜で切り開いたという伝説から、こう呼ばれたとのことです。