記事「武将」 の 検索結果 1080 件
-
長尾伊玄長尾伊玄は入道する前は長尾四郎右衛門尉景春といって、管領上杉氏の家宰を勤める長尾景信の長男に生まれます。越後の長尾氏出身の上杉謙信とは同族です。 景春が31歳の時、上杉軍の中心になって活躍していた父..
-
三浦道寸道寸は相模守護の扇谷(おおぎがやつ)上杉氏の生まれですが、7歳の時に守護代の三浦高時の養子になります。15歳の時に元服して、三浦新介義同(よしあつ)を名乗ります。 三浦家の跡継ぎとして、戦でも活躍し..
-
西村勘九郎勘九郎は幼い頃に京都の妙覚寺に入れられ、法蓮坊を名乗って日蓮宗の修行を積みますが、23歳の頃、還俗して松波庄五郎を名乗ります。 26歳の頃、油商人奈良屋又兵衛の娘に惚れて婿に入ります。何年かして屋号..
-
北条早雲の子供たち早雲は40歳の頃、武士をやめて旅に出ます。幕府に仕えていた頃、妻もあって子供もいたと思いますが、はっきりとわかりません。 妹のいる駿河の国に落ち着いて、今川家の家督争いを治めた後、今川家の武将として..
-
海野能登守輝幸海野能登守は上野国羽尾(群馬県吾妻郡長野原町)城主、羽尾治部少輔の三男に生まれます。 幼い頃より剣術の修行に励み、18歳頃、武術の聖地だった鹿島に行って、新当流の塚原卜伝の弟子になります。卜伝と共に..
-
草津温泉の領主、湯本三郎右衛門湯本善太夫の跡を継いだ三郎右衛門は善太夫の甥です。 13歳の時、父親は戦死してしまいます。本来なら長男の三郎右衛門が父の跡を継ぐはずでしたが、若過ぎるために、父親の弟が跡を継ぐ事に決まってしまいます..
-
草津温泉の領主、湯本善太夫上野の国(群馬県)の草津温泉は鎌倉時代より湯本氏が代々領主として守っていました。室町時代、上野の国は関東管領の上杉氏の支配下にあったので、湯本氏も管領に従い、草津温泉も安全でした。 京都で応仁の乱が..
-
明智光秀明智光秀といえば、本能寺の変で織田信長を襲撃した事で有名ですが、なぜ、あんな事をしでかしたのか、未だに謎のままです。 光秀は美濃の斎藤道三に仕えますが、弘治2年(1556)4月、道三は倅の義竜に殺さ..
-
蜂須賀小六織田信長の父親、信秀に土地を奪われた蜂須賀小六は、母親の実家である丹羽郡宮後郷の安井家を頼ります。 宮後郷は尾張と美濃の国境を流れる木曽川の近くで、川並衆と呼ばれるどちらの国にも属さない荒くれ野武士..
-
太田道灌江戸城の創始者として有名な太田道灌(どうかん)は文武両道の名将でした。 数々の伝説も生まれて、特に『山吹の里』の話は有名です。 ある日、鷹狩りに出掛けた時、俄か雨が降って来て、農家に立ち寄った若き..
-
秀吉が憧れたカブキ者豊臣秀吉が若かった頃、カブキ者というのが流行っていました。 人と変わった目立つ格好をして、奇抜な行動を取る事をカブくと言って、カブいている者をカブキ者と呼んでいました。 戦国乱世が生んだ一つの風潮..
-
今川義忠駿河の国(静岡県)の守護大名、今川氏は足利将軍家の一族です。足利義氏の子、長氏が吉良姓を名乗って吉良氏の祖となり、長氏の次男、国氏が今川姓を名乗って今川氏の祖となります。国氏の孫の範国が駿河の守護とな..