記事「武将」 の 検索結果 1080 件
-
木下藤吉郎木下藤吉郎というのは豊臣秀吉の若い頃の名前です。37歳の頃、羽柴姓に改めるまで、木下姓を名乗っていました。 木下というのは藤吉郎の実の父親の姓です。実の父親は武士で、藤吉郎が幼い頃に戦死しました。母..
-
赤松政則嘉吉元年(1441年)6月、京都の赤松邸にて、六代将軍足利義教が殺されるという前代未聞の事件が起こります。事件の後、赤松一族は家臣を引き連れて、領国の播磨に引き上げますが、幕府軍に攻められ、滅亡してし..
-
【一騎当千】〔塩崎雄二〕≪連載中・~12巻≫【一騎当千】〔塩崎雄二〕≪連載中・~12巻≫ 【一騎当千 レビュー烈】 三国志に出てくる英雄や武将、武人といった人物らの魂がこもった勾玉を持つ現代の日本の高校生らが、三国志時..
-
真田一徳斎真田昌幸の父親、一徳斎幸隆は信濃の国、真田郷に生まれますが、天文10年の5月、29歳の時に武田信虎らに攻められて故郷を追われます。5歳の信綱と生まれたばかりの昌輝、他にも女の子がいたかもしれませんが、..
-
上杉謙信の名前について一言上杉謙信は越後守護代長尾為景の末っ子で、幼名は虎千代と名付けられました。生まれた享禄三年が寅年だったからだそうです。 7歳の頃、出家して林泉寺に入りますが、その時の名は不明です。 兄の片腕として働..
-
上杉三郎景虎上杉謙信の養子となり、謙信の出家前の名前、景虎を名乗った三郎は北条氏康の八男です。幼い頃より出家して、西堂様と呼ばれていました。何事もなければ、そのまま僧侶として長生きした事でしょう。 運命が変わる..
-
武田勝頼勝頼は武田信玄の四男です。母親は信玄に滅ぼされた諏訪氏の姫様で、かなりの美貌だったようです。勝頼を産んだ時、姫はまだ16歳で、信玄は22歳でした。 勝頼が10歳の時に母親は25歳の若さで亡くなってし..
-
真田昌幸真田昌幸は一徳斎幸隆の三男として生まれます。 父の一徳斎は戦に敗れて領土を失い、一時は浪人となって上州に隠れていました。昌幸が生まれた頃は武田信玄に仕えていましたが、まだ、領土を取り戻す事はできず、..
-
北条氏時氏時は伊勢早雲の次男です。長享3年(1489年)頃、駿河の興国寺城で生まれます。母親は葛山備中守の娘のようです。 15歳頃、元服して、新六郎氏時を名乗り、22歳の頃には、岡崎城攻めの前線基地だった鴨..
-
北条氏綱の子供たち北条氏二代目の氏綱は10人の子供に恵まれました。 1番目は長女で、太田道灌の孫、太田資高に嫁ぎます。 2番目は次女で、香沼姫と呼ばれ、世田谷御所の吉良頼康に嫁ぎます。 そして、三番目が長男の氏康..
-
北条氏康氏康は早雲の孫で、氏綱の長男です。幼名は伊豆千代丸といい、永正12年(1515年)、小田原城で生まれます。 氏康が生まれた時はまだ伊勢氏を名乗っていて、祖父の早雲は84歳でしたが健在でした。氏康が生..
-
葛山氏広伊勢(北条)早雲の三男、氏広は駿河の国の駿東郡に勢力を持っていた葛山(かづらやま)氏の養子になります。葛山氏は母親の実家で、跡継ぎに恵まれなかったため、婿養子に入ったようです。 氏広は中務少輔と称し..