記事「歴史」 の 検索結果 41222 件
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京都探訪114 東寺の金堂・講堂 付記・豊臣秀頼が再興した出雲大社の見取り図・仕様書発見の記事写真は東寺の金堂を一昨日に撮ったものです。拙ブログの昨日記事で触れたように、秀頼が再建したものです。 東寺の小冊子には、「天竺様の構造法を用いた豪放雄大な気風のみなぎる桃山時代の代表的建築物」だ..
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大西泰正氏「明石掃部の研究」9 掃部の大坂入城が高山右近のそれを代替したとの見方も可能大西泰正氏「明石掃部の研究」には、大坂城に入城した「掃部は、秀頼のもとに参集したキリシタン勢力の中核をなしたと考えられる」と指摘されていますが、この部分の註に海老沢有道氏の「高山右近」(吉川弘文館)..
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連続講演『「のぼうの城」の世界を知る』のお知らせ8月2日から11日までスイスへ旅行していたため、ブログの更新ができませんでした。旅行の内容については、拙ブログで追々紹介していきたいと思いますが、10年ぶりの海外旅行だったので、行く前は不安を感じて..
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古典文学探訪33 「義経記」2 義経妻子・兼房の最期写真は中尊寺金色堂のそばに建っている芭蕉の句碑ですが、「奥の細道」には同行していた弟子の曽良(そら)の平泉で作った句も載っています。「卯の花に兼房見ゆる白毛かな」というものですが、白い卯の花を見てい..
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古典文学探訪32 「奥の細道」写真はかつて金色堂(光堂)をおおっていた「おおい堂」すなわち「鞘堂」を撮ったものです。金色堂の周囲を取り囲み、金色堂が朽ちるのを防ぎました。 鞘堂におおわれた金色堂を江戸時代の松尾芭蕉が見てい..
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古典文学探訪31 「義経記」写真は平泉の中尊寺の金色堂ですが、中は撮影禁止なので、やむなく外から撮ったものです。青葉城跡で昼食を取った後、バスで平泉へ移動しました。 平泉は奥州藤原三代にわたって栄えたところであり、金色..
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石田三成の実像34 「毛利輝元」1高野山にある毛利家の墓所です。 毛利輝元は関ヶ原の戦いの際に、西軍の総大将になった武将ですが、石田三成たちの要請を受けて7月17日大坂城の西の丸に入り、秀頼を守る役目を果たしましたが、大垣城にい..
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フランス文学探訪13 ユルスナール「東方綺譚」の「マルコの微笑」2セルビア付近の地図を参考のため載せました。 つかまったマルコは死んだふりをしますが、体は硬直化し、心臓の鼓動も聞き取れないほどの徹底ぶりでした。それはまるで「ロメオとジュリエット」の..
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フランス文学探訪12 ユルスナール「東方綺譚」の「マルコの微笑」114世紀にセルビアで活躍した英雄マルコが主人公の話ですが、私は寡聞にしてそういう人の存在を知りませんでした。彼はセルビアの王子であり、クラリェヴィッチ・マルコという名前でした。ドウシャン大帝の死後、..
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石田三成の実像33 三成の兄、石田正澄2写真は高野山の大塔ですが、真言宗の根本道場として建立されたので根本大塔と言います。今の大塔は1937年に再建されたものです。 後で述べますように、関ヶ原の戦いの後、正澄の息子が高野山の木食上人を..
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石田三成の実像32 三成の兄、石田正澄1写真は高野山の石田三成の墓のアップですが、横に立ってるのが私です。 石田正澄は三成の兄でありながら、弟をよく補佐しました。正澄は本当は次男ですが、長男が幼くしてなくなっています。三成に「三」と..
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石田三成の実像28 高野山の石田三成の墓、経堂、秀次切腹の間一泊二日で高野山に行ってきました。遍照光院という宿坊に泊まったのですが、初日は宿に荷物を置くと、早速奥の院まで小一時間歩きました。参道には武将や藩主たちの墓がずらりと並んでいますが、その中に石田三成..