記事「歴史」 の 検索結果 41064 件
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1348 乃生岬=坂出市王越町乃生(香川県)坂出市街はほとんど海だったと考えられ松山の津は雌山雄山の東あたり王越のこどもたちが、松山小学校までどのようにして通学しているのかは知らない。あるいはスクールバスでもあるのかもしれないが、弓弦羽=王越は日祝日運休となる琴参バス王越線で通学するとすれば、時間がいささ..
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1347 宮ノ鼻=坂出市王越町乃生(香川県)崇徳上皇かと思えばそれは違っていてここは神功皇后が上陸したところだったが…大崎ノ鼻を回りこんで、バスの右手車窓に木沢湾が現れると、その向こう側に宮ノ鼻が見えてくる。というより、このときにはまだ目立っているのは遠くの乃生岬のほうで、宮ノ鼻はその手前に引っ込んだ影のようになっ..
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1343 神在鼻=高松市神在川窪町(香川県)証拠はないんだけどやっぱりここも「こうざい」だったのではと疑っている菅原道真の時代からは約220年も下って承久の乱になるわけだから、香西氏が香西を名乗ると決めたときには、この地域は「笠居」だったことになる。室町後期の頃までは、中讃岐の中心はこの笠居付近であったらしい..
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1342 牛ノ鼻=高松市神在川窪町(香川県)「憂しの鼻」が「憂岬(うしのはな)」になりこの名になって香西浦に残った氏名(姓名)と地名の関わりは、どの地域にも結構色濃くあるものだが、予讃線の「香西駅」や「香西車庫行き」というバス路線をみたときに、これもきっと人名だなと思ったのは、その読みが「かさい」ではなく「こう..
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1341 長崎ノ鼻=高松市屋島西町(香川県)“源平屋島古戦場”はいったいどこなのかという昔からの疑問解明に挑んでみた(大げさ!)屋島の古戦場って、いったいどこが主戦場だったのだろうか。そういう漠然とした疑問をもちながら、これまでそれを究明しようというほど積極的な意思もなく,そのままになっていた。 昔の地図では、古戦場は刀がぶ..
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1291 小倉崎=鳳珠郡能登町字七見(石川県)宇出津が中心となる能登町の岬はここまでで次からは穴水町に北の端、尾ノ崎に始まった鳳珠(ほうす)郡能登町(ちょう)の岬は、南の端の小倉崎で終わる。この間、能登町内の岬は尾ノ崎から小倉崎まであわせて8つ。恋路の海岸から奥能登丘陵が九十九湾を抱えて大きく張り出..
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1285 赤崎=鳳珠郡能登町字布浦(石川県)大きな歴史もあった小さい町の北東に伸びている岬尾ノ崎と赤崎、ふたつの岬に挟まれた湾に松波川が注ぎ込む河口の平地に発達した町は、松波村→内浦町→能登町(のとちょう)と変遷を経ながら、珠洲市の合併にも参加しなかった。現在では能登町の字にその名が残る..
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番外:山居倉庫=酒田市山居町一丁目(山形県)本間家と酒井氏となかなか趣と貫禄のある倉庫と…だいたいが、過去のことなど今さら何の意味もない、そーゆーことにこだわるのは愚だ、とする意見・主張はかなり根強くはびこっている…。過去に拘泥して耽溺するという弊害があると言えば、それにも一分の理がない..
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1243 鳥崎=岩船郡粟島浦村(新潟県)義経伝説が結ぶ本土と粟島その北東端の岬がここなので…安宅の関からから日本海沿岸を辿って奥州へ落ち延びる義経主従の逃避行に伴う伝説は、この沿岸にいくつもの足跡として記録されているが、これもまたそのひとつ。 村上市馬下(まおろし)というのは、笹川流れの山..
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番外:じいちゃんがこどもだった頃=孫たちに語る70(〜65)年前のことなどを(その3)「人間一生のうちにこんなに変わるんだなぁ」と思うことがある。70年前に戦争が終わったときには、じいちゃんはまだ小学校へ行く前で、その翌年から一年生になった…。前からの続きだけど今回でいちおうおしまい..
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番外:じいちゃんがこどもだった頃=孫たちに語る70(〜65)年前のことなどを(その1)「人間一生のうちにこんなに変わるんだなぁ」と思うことがある。70年前に戦争が終わったときには、じいちゃんはまだ小学校へ行く前だった。その頃の日本は、戦争に負けてすべてが崩れ去り、焼け跡と瓦礫(がれき..
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番外:沖縄本島の岬めぐりと沖縄戦まとめ(沖縄県)ざわわざわわ…とざわつくところいたむこころ…沖縄本島の岬めぐりでは、まだひとつふたつ追加しなければならないところもあるが、今回の北部の岬めぐりで大筋でまとめることができる。 それぞれ、項目番号をマッピングしてみると、やはり南部には岬は少なく、..