記事「歴史」 の 検索結果 41157 件
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宇品線の跡。宇品線の跡はここにも。 陸軍桟橋と言われていた名残もありました。
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1519 寺子ノ岬=鹿角郡小坂町十和田湖(秋田県)その昔教科書で初めて知った十和田湖のことでんでんむしが十和田湖のことを初めて知ったのは、こどもの頃に学校で習った教科書でであった。それは、和井内貞行という人が、その山の上の湖でヒメマスの養殖にひたすら苦心するという話だった。 以来、何十..
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1492 白根崎=東津軽郡平内町大字土屋(青森県)そんなこたあシラネヒラナイなんて言わないで青森県はなぜ青森県かを考えてみる真ん中で北に向かって三角に飛び出している夏泊半島は、野辺地湾と青森湾とに陸奥湾をさらに東西に分けている。この半島の出っ張りと付け根に食い込んだ山地を含めて、丸ごと一帯が東津軽郡平内町(ひらないまち)..
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1456 長井松ヶ崎=横須賀市長井三丁目(神奈川県)岡崎の岬が松ヶ崎とはこれいかに火山豆石もわからんとはこれいかに荒崎も公園からのコース順路に従えば、だいたいはどんどんびきという狭い入江を右に見て、佃荒崎のほうに進むことになるのだが、その北西側にも大きく岩場と丘が張り出している。その丘は城山とも呼ばれていて、実..
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番外:井上茂美旧邸跡=横須賀市長井六丁目(神奈川県)わざわざ探して行かなかったその場所に今度は行ってみた環境省と神奈川県が建てた荒崎の案内看板には、城山からの眺めは「眼下に松の青と砕ける波の白さが調和し、遠く相模・伊豆の連山や富士の容姿がすばらしい」と形容している。 絵葉書的な説明はともかく、“調和し..
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1453 佃荒崎=横須賀市長井四丁目(神奈川県)和田義盛の地盤だった和田の里から長浜海岸へ出て北へ佃荒崎を「つくたらしさき」と読むらしい。「だ」「ざ」と濁ることもあるようだが、「つくだあらさき」がつづまったものだろう。またその北側にある小さな漁港は、栗谷浜と書いて「くればま」と読むということも、..
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1449 矢越岬=知内町字小谷石・福島町字岩部(北海道)郡と町との境界線にある岬の周辺はちょっとした秘境のようだが…矢越岬はなかなかの景観といってよい。小谷石からクルーズ船も出ているらしいし、最近ではテレビでも何度か取り上げられているようだ。なので、船で行けばもっとそのそばから、形のよい岩の岬の上に神社の鳥居や灯..
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1448 小谷石の無名岬=知内町字小谷石(北海道)砂金の魔力が人を動かしこの地域にも人が入り込み蝦夷との抗争も…小谷石のバスの終点は集落の南にあるが、ひとつ手前の滝ノ澗で降りて少し引き返す。そこには無名だが、なんとなく記録しておきたいような出っ張りがあるからだ。道路がカーブして小谷石の集落と港を抱える入江の北..
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1447 ナマコ岬=知内町字小谷石(北海道)この岬について書いている記事もほかにないだろうけど書けることもないので…涌元から小谷石の間には、人家がまったくないと書いていた。したがって、涌元築港前のバス停から小谷石集落の東、滝の澗バス停の間3.8キロには、バス停がひとつしかない。ひとつでもあるのが不思議なようなもの..
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1446 狐越岬=知内町字小谷石(北海道)金山には当たらなかったけど温泉は出た知内町にはふたつのトンネルがある海岸からは離れた山寄りの知内町内を走り抜ける新幹線のトンネルは、都合6つもあるのだが、道路トンネルはふたつしかなく、そのふたつとも涌元から小谷石へ行く道の間にある。 長磯岬と孤越岬の間を抜ける“しお..
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1445 長磯岬=知内町字小谷石(北海道)小谷石で行き止まりになる道道531号線の涌元以南は半世紀前に開通蛇ノ鼻岬の次に現れるのは長磯岬だが、その前にちょっと追加しておくと、前項の蛇ノ鼻は涌元のほうから眺めたもので、いさりびトンネルというトンネルに入る前のことで書いていた。 しかし、国土地理院の地理院地..
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1434 山ヶ岬=奥尻郡奥尻町字赤石(北海道)通りすがりに奥尻島の遺跡を町のサイトからちょっと拾ってみる…大昔の移動手段で、比較的手軽でいちばん効率的で威力を発揮したのは、舟であったろう。したがって、数千年も前から奥尻島がオホーツク文化圏の西と南の端であり、かつまた本州の文化圏との交流があったというのは..