記事「歴史」 の 検索結果 41157 件
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1433 弥右衛門岬=奥尻郡奥尻町字松江(北海道)約8,000年前から人が暮らしていた砂丘の面影もなく弥右衛門さんも不明また人の名前の岬である。清次郎さんは書くことも出てきてなんとかなったが、弥右衛門さんについてはまったくなにもわからず、完全にお手上げ。 で、その前に…。 奥尻島の岬は、北から逆時計回りに回っているが..
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1419 神子崎=三方上中郡若狭町神子(福井県)神功皇后の影を残す半島の陸の孤島だった浜辺の集落と岬の名は“みこ”なぜ常神で3時間も時間を潰さねばならなくなったかといえば、ひとつには常神岬が見えるところまで登ることができなかったので、時間が余ったというだけではなく、計画で予定していたバスの時刻が変更でなくなって..
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1409 小崎=敦賀市沓(福井県)気比神宮と一対の常宮神社もある海岸線を走りながら眺める沓の先に飛び出た小崎縄間(のうま)まで走ってきた県道33号線は、西へ折れて馬背峠トンネルへ行ってしまうので、ここから先、敦賀半島東岸を北上する道は、県道141号線となる。 常宮(じょうぐう)に入ると、海岸のそばにこんも..
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1407 弁天崎=敦賀市二村(福井県)気比神宮から芭蕉には無視された松原を経て敦賀半島の西海岸へ向かう前項でふれた、杉原千畝関連の本などが盛んに出始めたのは、1994年のスピルバーグの『シンドラーのリスト』公開以降のような気がするのは、例によって個人的な印象と感想によるもので、とくに調べたわけではな..
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1406 鴎ヶ崎=敦賀市金ヶ崎町(福井県)杉原千畝や信長とともに名だけは周囲をすっかり埋め立てられてもかろうじて…敦賀港は湾奥の東にあり、そこは天筒山の山塊が171メートルと標高は低い割に、大きな存在感を持って敦賀市外の東を仕切っている。天筒山から西に小さく張り出した尾根が金ヶ崎の山で、その尾根の南に金ヶ崎宮や..
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1405 田結崎=敦賀市鞠山(福井県)そもそもの敦賀と『大敦賀行進曲』が歌われた時代の敦賀港に思いをはせてみる江良の南の赤崎は、字地名で岬はないので、その南の田結(たい)から西にぽこぽこと連続する尾根の先、鞠山というところに小山がふたつある。鞠のように丸い山という意味だろうか。 西の小山の先に、田結崎という..
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1403 黒崎=敦賀市阿曽(福井県)大きな黒い石というより岩がつくる岬はトンネルと洞門で通り抜ける「青の洞門」ではないが、古い時代のトンネルは当然ながらみな手掘りであったから、石壁が掘り跡をそのままに残り、入口の部分だけが石積みであった。明治の頃に鉄道が日本全国に伸び始めたときにも、そうして多く..
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1398 藤ヶ崎=長浜市木之本町飯浦(滋賀県)“僕のあの帽子どうしたでしょうね”実は木ノ本駅ホームのベンチに置き忘れて…藤ヶ崎は琵琶湖最北端の入江をつくる木ノ本のちょこんと南に飛び出た岬で、300メートルのピークをもつ小山の南端である。そのピークから東に尾根を辿ると、標高421メートルの賤ヶ岳(しずがたけ)で、その北..
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1397 葛籠尾崎=長浜市西浅井町菅浦(滋賀県)北近江の秘境であるかもしれぬ岬は秘境であるがゆえに遠望葛籠尾(つづらお)崎は、海津大崎と並んで湖北の湖面に突き出ているが、東の葛籠尾崎のほうが南に向かってより張り出している。 市境のトンネルを出ると、湖西線の永原駅がある。長浜市の西浅井地域は、その駅が..
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1395 船木崎=高島市安曇川町北船木(滋賀県)琵琶湖畔でいちばんでっかい出っ張りのその先っちょがここおそらく、高島市と聞いてすぐにこの場所の位置がピンとくる人は少なかろう。もっとも、この頃では合併でやたらめったら市が増えているので、それはここだけに限ったことでもないのだが、でんでんむしも、安曇川(..
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1393 柳ヶ崎=大津市柳が崎(滋賀県)JR湖西線の“大津京”という駅名は妥当か否かの歴史論争も東海道新幹線を降りた京都では、すぐに湖西線に乗り換え、大津京駅までやってきた。京都駅が始発の、この路線に乗るのもひさしぶり。記憶ではかつてはさびれた支線の一つに過ぎなかったが、敦賀までの直通快速もあ..
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1392 茶ヶ崎=大津市茶が崎(滋賀県)皇子山や皇子が丘の“皇子”とはいったい誰のことなのか自分ではまったく運動もしないし、ジョギングはおろかラジオ体操もしないのに、なぜか他人が走るのを見ているのは好きなので、“びわ湖毎日マラソン”も毎年3月の声を聞くと春を感じさせる琵琶湖の風景を見るのが..