記事「源実朝」 の 検索結果 73 件
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金槐和歌集を探して(その1)珍しく仕事から早くあがり、家の近くへの本屋へ―。 「金槐和歌集」をどうしても入手したくなった。 「岩波文庫で出してなかったっけ?」 と思いつつ岩波文庫のコーナーを見たら、 その品揃えの貧弱..
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實朝雑記(その1)この国の歴史はおもしろい―。 おもしろい場面は数多くあるが、 その多くは武士の時代のものである。 源平合戦~南北朝~戦国時代~幕末 と、政治変動の節目節目における戦争と動乱は、 ダイナミ..
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實朝暗殺(その11)和田合戦のあった建保元年(1213年)の暮れは、 実朝にとって比較的穏やかなように見えた―。 十二月十九日、実朝は狩野行光の屋敷を訪れている。 「將軍家、爲御覽山家景趣、入御民部大夫行光..
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實朝暗殺(その10)出ていなは主なき宿と成ぬとも 軒端の梅よ春をわするな 妻が携帯で早咲きの梅の写真をとり、メールで送ってくれた。 ピンボケのせいか、 写真そのものがなにやらはるか昔の梅を写したように思われ、 ..
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實朝暗殺(その9)流れ行く木の葉のよどむえにしあれば 暮れての後も秋の久しき 実朝暗殺について、駄文を書き連ねてきたが、 なにやらまだ書き足りないような気がする。 「實朝暗殺(その5)」でやめようと思い、 ..
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實朝暗殺(その8)「子尅、將軍家、出御南面于時、燈消人定、悄然無音 只月色蛬、思傷心計也御歌數首、有御獨吟、 及丑剋、如夢、而青女一人、奔融前庭 頻雖令問之給、遂以不名謁、漸至門外之程、俄有光物 頗如松明、以宿..
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實朝暗殺(その7)Behind every great fortune there is a crime. ―..
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實朝暗殺(その6)「路次隨兵一千騎也 令入宮寺樓門御之時、右京兆、俄有心神御違例事、 譲御劔於仲章朝臣、退去給、於神宮寺、御拜脱之後、 令歸小野御亭給 及夜陰、神拜事終、漸令退出御之處、 當宮別當阿闍梨公暁、..
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實朝暗殺(その5)「十六日 丁亥晴、 波多野次郎朝定、自京都歸著、 持參去六日除書將軍家、令兼任左近大將給御使 入洛之時、任故右大將軍之例、可被任右仍右幕下、 擬被辞申之刻、朝定上洛之間、亦改先篇有其沙汰、 御..
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實朝暗殺(その4)「將軍家、俄御不例頗有御火急之氣、 仍戌尅、於御所南庭、被行屬星祭泰貞、奉仕之 武州、帯御撫物并御衣、令向其所給」 (「吾妻鏡」建暦元年(1211)六月ニ日) 実朝は突然の病を発し、熱が出..
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實朝暗殺(その3)「六波羅飛脚到著申云、和田左衛門尉義盛、大學助義清等餘類、住洛陽、 以故金吾將軍家御息、〈號禅師、〉爲大將軍、巧叛逆之由、依有其聞、 去十三日、前大膳大夫之在京家人等、襲件旅亭、〈一條北邊〉之處、..
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實朝暗殺(その2)「鶴岳別當、參籠宮寺、更不退出被致數箇祈請、都以無除髪之儀、人恠之」 (「吾妻鏡」建保六年(1218)十二月五日) 暗殺の前月、公暁(鶴岳別當)は宮寺にこもり何事かを祈請した。 都で有力者が..