記事「滋賀」 の 検索結果 6001 件
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大津事件現場大津事件は明治24年(1891年)5月11日に、日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県滋賀郡大津町(現大津市)で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に斬りつけられ負傷した..
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平忠度歌碑平清盛の異母弟、平忠度の歌碑が大津市の長等公園に建てられています。 さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな平家一門と都落ちした後、都の俊成の屋敷に赴き、俊成に託した歌の一首。
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粟津原寿永3年1月21日(1184年3月5日)、近江国の琵琶湖畔粟津原で、木曽義仲と源頼朝派遣の東国諸将との間で行われたのが粟津原の戦い。多勢に無勢の義仲軍は壊滅し、木曽義仲と今井兼平は討死にをしました。今..
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今井兼平墓(粟津)今井兼平は木曽義仲と乳兄弟にあたり、木曽四天王とも呼ばれていましたが、木曽へと逃れる途中の義仲とともに戦って、粟津で悲壮な最期を遂げました。義仲が討たれると、刀を口に逆立てて馬から跳び降りたと伝わって..
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瀬田の唐橋明治22年(1889年)まで瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は、交通の要衝であり、京都防衛上の重要地であったことから、壬申の乱、寿永の乱、承久の乱、建武の乱など、様々な戦乱に巡り合ってきました..
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槻御殿槻御殿は延宝5年(1677年)、4代藩主井伊直興により造営が始まり同7年に完成したと伝えられている御殿です。幕末の大老、井伊直弼の生誕地でもあり、直弼は17歳までここで過ごしたとのことです。昭和26..
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井伊直政像井伊直政は上野国高崎藩の初代藩主で、後に近江国佐和山藩の初代藩主。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、徳川氏きっての政治家、外交官でもあり、家康の天下取りを全力で支えた功臣として知られていま..
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元亀兵乱殉難者鎮魂塚元亀2年(1571年)9月12日、比叡山延暦寺は織田信長軍に焼き討ちされ、堂塔等がことごとく焼き払われ、僧俗等2千余名が殺戮されたとのことです。犠牲者だけでなく、攻め込んだ織田軍の霊をも鎮めるための塚..
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埋木舎彦根城佐和口御門近くにある質素な屋敷で、 井伊家の14男として生まれた 井伊直弼が彦根藩主となるまでの不遇の15年を過ごした屋敷として有名。 自らを花の咲かない埋木と同じとして、居宅を「埋木舎」と..
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遠城謙道師之碑遠城謙道は、桜田門外の変での大老井伊直弼公の横死後、仏門に入り、 江戸における井伊家の菩提寺で、直弼の墓のある豪徳寺に移り住みました。 そこで、終生掃墓、読経をし、霊を慰めること実に37年に及んだ..
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井伊直弼像(彦根)井伊直弼は、近江彦根藩の第15代藩主で、幕末に江戸幕府の大老を務め、 勅許を得ず日米修好通商条約に調印し、日本の開国近代化を断行しました。 強権をもって反対勢力を粛清したため、反動を受けて暗殺され..
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夢京橋キャッスルロード彦根城の京橋から南西に向かって伸びる、昔の商家風の店舗の並ぶ商店街。 「OLD NEW TOWN」をテーマに、本町通りに沿って立ち並ぶ街並みは、商人 屋敷の良さを生かした、江戸時代感覚の新しい建物..