記事「滋賀」 の 検索結果 6001 件
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義経元服池承安4年(1174年)、鞍馬山を脱出した牛若丸は、現在の滋賀県竜王町の時の長者「沢弥傳」の屋敷に泊まり、その夜、元服することを決意しました。この池の水を用いて元服した牛若は以後、源義経と名乗るようにな..
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烏帽子掛けの松滋賀県竜王町の鏡神社の参道にある松の古木。鏡の宿でただひとりで元服した牛若が元服後に鏡神社に参拝し、源九郎義経と名乗りをあげて、源氏の再興を祈願した際に、この松の枝に鳥帽子をかけたと伝わっています。
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源義経宿泊館跡京都の鞍馬寺より奥州下向の途中、近江の「鏡の宿」(現在の滋賀県竜王町)に到着した牛若丸一行は、承安4年(1174年)3月3日、当時の宿駅の長であった澤弥伝の「白木屋」の旅籠に宿泊したと伝わっています。..
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明智左馬之助湖水渡りの碑山崎の合戦後、明智光秀の敗死を知り坂本に引き揚げようとした明智左馬之助秀満は、大津の打出の浜で敵に遭遇し窮地に陥りました。しかし、秀満は琵琶湖を馬を泳がせて渡り、坂本に帰り着いたとのことです。
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山吹供養塚義仲寺境内にある木曽義仲の妻そして妾とも云われている山吹の供養塚。山吹は京にいましたが、義仲に逢おうとして大津まで来たとき、義仲戦死の報を聞いて、悲嘆のあまり自害したとも捕られたとも伝わっています。
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木曾義仲墓木曾義仲は戦いに敗れ、今井兼平ら数名の部下と共に落ち延びようとしましたが、近江国粟津(現在の滋賀県大津市)で討ち死にをしました。義仲の墓所は室町時代に没地近くに開かれた朝日山義仲寺にあります。
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巴塚木曽義仲の愛妻巴は粟津野の戦いで捕えられて和田義盛の妻となりましたが、義盛も戦死したあとは尼僧となり各地を廻ったとのことです。当地にも暫く止まり 、亡き義仲の菩提を弔っていたと伝わっています。
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松尾芭蕉墓松尾芭蕉は元禄7年(1694年)10月12日、現在の大阪御堂筋付近にあった花屋仁左衛門の貸座敷で51歳の生涯を閉じました。その遺骸は遺言通り、大津の義仲寺にある木曽義仲の墓の隣りに埋葬されたとのことで..
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義仲寺滋賀県大津市にある天台宗系の寺院。寺の創建については不詳ですが、木曾義仲の死後、義仲の愛妾であった巴御前が墓所近くに草庵を結び、日々供養したことに始まると伝えられているそうで、別名、巴寺、無名庵、木曽..
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弁慶水比叡山東塔近くにある「弁慶水」「千手水」「千寿水」などと呼ばれている湧水。比叡山の西塔に住んでいた武蔵坊弁慶が、千日間の「千手堂 (山王院)」参籠の際に、ここの水を汲んだと伝えられています。
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にない堂比叡山西塔にある堂で、向かって右側の法華堂と左側の常行堂が渡り廊下で結ばれています。この渡り廊下を「にない棒」に見立て、武蔵坊弁慶が肩で担ぎ上げたという逸話から「にない堂」と呼ばれているそうです。
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延暦寺延暦寺は滋賀県大津市坂本本町にある比叡山全域を境内とするお寺で、平安時代初期に最澄によって開かれた日本天台宗の本山寺院。平成6年(1994年)に、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。