記事「滋賀」 の 検索結果 6118 件
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井伊大老歌碑彦根城の佐和口多聞櫓のすぐ近くにある、井伊大老(直弼)の歌碑。 「 あふみの海 磯うつ波の いく度か 御世にこころを くだきぬるかな 」直弼は和歌においても秀でており、自作の和歌集を編纂したほどだそう..
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長浜城天正元年(1573年)、浅井氏攻めの功績で羽柴秀吉が浅井氏の旧領であったこの地を信長から拝領して築城した城。この城は秀吉の最初の居城で、秀吉はそれまでの今浜という地名を長浜と改名し、秀吉の城下町経営の..
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小谷城跡小谷城は長浜市湖北町伊部(旧・近江国浅井郡)にあった戦国時代の城。 戦国大名浅井氏3代の居城であり、堅固な山城として知られていました。しかし、織田信長に攻められて、天正元年(1573年)9月1日につい..
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北条仲時墓北条仲時は鎌倉時代の北条氏一門で、鎌倉幕府最後の六波羅探題北方。元弘3年(1333年)5月、六波羅を攻め落とされると、東国へ落ち延びようとしましたが叶わず、番場の蓮華寺本堂前で一族432人と共に自刃し..
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蓮華寺滋賀県米原市番場にある、浄土宗(旧時宗)のお寺で、聖徳太子によって開かれた寺と伝えられ、当初は寺号を法隆寺と称していたとのことです。六波羅探題北方の北条仲時が、一族郎党432名と伴に自刃したお寺です。..
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安土城天下制覇を目指した織田信長が、琵琶湖畔の安土山に築いた城。岐阜城よりも京に近く、琵琶湖の水運も利用できる等の利点がありました。優れた築城技術も導入されていて、以降の各地の築城にも影響を与えました。
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平宗盛終焉の地平宗盛は平清盛の三男、平家一門の武将・公卿で、官位は従一位内大臣。壇ノ浦の戦いで、宗盛は死にきれずに捕虜となり、鎌倉に送られましたが、京都に送還される途中、嫡男清宗とともに、近江国篠原宿で斬首されまし..
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義経元服池承安4年(1174年)、鞍馬山を脱出した牛若丸は、現在の滋賀県竜王町の時の長者「沢弥傳」の屋敷に泊まり、その夜、元服することを決意しました。この池の水を用いて元服した牛若は以後、源義経と名乗るようにな..
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烏帽子掛けの松滋賀県竜王町の鏡神社の参道にある松の古木。鏡の宿でただひとりで元服した牛若が元服後に鏡神社に参拝し、源九郎義経と名乗りをあげて、源氏の再興を祈願した際に、この松の枝に鳥帽子をかけたと伝わっています。
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源義経宿泊館跡京都の鞍馬寺より奥州下向の途中、近江の「鏡の宿」(現在の滋賀県竜王町)に到着した牛若丸一行は、承安4年(1174年)3月3日、当時の宿駅の長であった澤弥伝の「白木屋」の旅籠に宿泊したと伝わっています。..
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明智左馬之助湖水渡りの碑山崎の合戦後、明智光秀の敗死を知り坂本に引き揚げようとした明智左馬之助秀満は、大津の打出の浜で敵に遭遇し窮地に陥りました。しかし、秀満は琵琶湖を馬を泳がせて渡り、坂本に帰り着いたとのことです。
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山吹供養塚義仲寺境内にある木曽義仲の妻そして妾とも云われている山吹の供養塚。山吹は京にいましたが、義仲に逢おうとして大津まで来たとき、義仲戦死の報を聞いて、悲嘆のあまり自害したとも捕られたとも伝わっています。