記事「滋賀」 の 検索結果 6118 件
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木曾義仲墓木曾義仲は戦いに敗れ、今井兼平ら数名の部下と共に落ち延びようとしましたが、近江国粟津(現在の滋賀県大津市)で討ち死にをしました。義仲の墓所は室町時代に没地近くに開かれた朝日山義仲寺にあります。
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巴塚木曽義仲の愛妻巴は粟津野の戦いで捕えられて和田義盛の妻となりましたが、義盛も戦死したあとは尼僧となり各地を廻ったとのことです。当地にも暫く止まり 、亡き義仲の菩提を弔っていたと伝わっています。
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松尾芭蕉墓松尾芭蕉は元禄7年(1694年)10月12日、現在の大阪御堂筋付近にあった花屋仁左衛門の貸座敷で51歳の生涯を閉じました。その遺骸は遺言通り、大津の義仲寺にある木曽義仲の墓の隣りに埋葬されたとのことで..
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義仲寺滋賀県大津市にある天台宗系の寺院。寺の創建については不詳ですが、木曾義仲の死後、義仲の愛妾であった巴御前が墓所近くに草庵を結び、日々供養したことに始まると伝えられているそうで、別名、巴寺、無名庵、木曽..
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弁慶水比叡山東塔近くにある「弁慶水」「千手水」「千寿水」などと呼ばれている湧水。比叡山の西塔に住んでいた武蔵坊弁慶が、千日間の「千手堂 (山王院)」参籠の際に、ここの水を汲んだと伝えられています。
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にない堂比叡山西塔にある堂で、向かって右側の法華堂と左側の常行堂が渡り廊下で結ばれています。この渡り廊下を「にない棒」に見立て、武蔵坊弁慶が肩で担ぎ上げたという逸話から「にない堂」と呼ばれているそうです。
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延暦寺延暦寺は滋賀県大津市坂本本町にある比叡山全域を境内とするお寺で、平安時代初期に最澄によって開かれた日本天台宗の本山寺院。平成6年(1994年)に、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。
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大津事件現場大津事件は明治24年(1891年)5月11日に、日本を訪問中のロシア帝国皇太子・ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県滋賀郡大津町(現大津市)で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に斬りつけられ負傷した..
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平忠度歌碑平清盛の異母弟、平忠度の歌碑が大津市の長等公園に建てられています。 さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな平家一門と都落ちした後、都の俊成の屋敷に赴き、俊成に託した歌の一首。
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粟津原寿永3年1月21日(1184年3月5日)、近江国の琵琶湖畔粟津原で、木曽義仲と源頼朝派遣の東国諸将との間で行われたのが粟津原の戦い。多勢に無勢の義仲軍は壊滅し、木曽義仲と今井兼平は討死にをしました。今..
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今井兼平墓(粟津)今井兼平は木曽義仲と乳兄弟にあたり、木曽四天王とも呼ばれていましたが、木曽へと逃れる途中の義仲とともに戦って、粟津で悲壮な最期を遂げました。義仲が討たれると、刀を口に逆立てて馬から跳び降りたと伝わって..
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瀬田の唐橋明治22年(1889年)まで瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は、交通の要衝であり、京都防衛上の重要地であったことから、壬申の乱、寿永の乱、承久の乱、建武の乱など、様々な戦乱に巡り合ってきました..