記事「独り言」 の 検索結果 143925 件
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それって、自分の我がままでしかないと即座にその思いを打ち消していた私には今年の7月で43歳になる娘がいる。 娘は24歳で知多市の自営業者の長男のところへ嫁に行き、翌年の5月、上の孫娘の出産の折には2ヶ月ほど我が家に留まったあと、知多市のダンナのもとに帰っていっ..
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母親の親戚と言えば、養子の兄の子である甥と姪の2人と祖父の子である従兄弟だけであった私の母親は一人っ子だったので、祖母は母親より2つ年上の男の子を養子に迎えたが、第二次世界大戦で、男の子と女の子を残し、若くして戦死してしまった。 そのために母親の親戚と言えば、その養子の兄の子で..
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来年度も私は広報部会の副部長として名を連ねている私は満68歳のとき、地域自治区の区長代理をやっている高校時代の同級生から、来年度から区長をやるので手助けしてほしいと頼まれ、翌年度から広報部長をやることになった。 それから2年の任期を終え、シル..
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結婚式の写真は集合写真を含めて数枚、残っているだけである私の最近の散歩コースは、まず桃山公園に行き、隣接する大倉公園経由で大府市の市庁舎からUターンするコースと、大倉公園から熱田神社に行き、延命寺経由でUターンするコースになっている。 このコースに限..
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JR東海道線に乗ると客車のほぼ全員がスマホを手離さないでいるここ1年半ほど、コロナ禍で名古屋に出かけていない。 最後に行ったのは2019年の11月であった。 そのときの行き帰りの電車の中で、時代と自分の感性が完全にズレてしまっていることを思い知らされ..
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彼らは今も健在で、どこで何をしているのであろうか私は一年浪人して、名古屋にある南山大学の英文科を受験して、合格した。 昨日、本棚を整理していると、その時代にいつもつるんでいた男4人と私のショットが出てきた。アルバムに貼付した写真もある。 ..
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初恋の人T.T.との出会いの意味をそんなふうに自分を納得させていた今日、高校時代のアルバムを見ていたら、モノクロ写真の中にトランプゲームで戯れる初恋の人T.T.の姿が写っていた。 私がT.T.に会ったのは高校3年生のときで、彼女は1年生であった。 彼女は高..
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満77歳からの学校は、体力的には一杯いっぱいの年齢である今、私が市の公園で働いているのは、名古屋にある外国語学校I.C.NAGOYAの授業料を確保したいという気持を持っているからである。 加えて、自分の残り少ない人生を考えると、今までとは違った環境の..
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「今日で、会うのは止そう!」私はいつしか、彼女にそう告げていた私は63歳から5年間、JR大府駅の市営駐車場で週3日ほど働いていた。 市営駐車場は私の家から徒歩で25分ほどのところにあったので、歩いて通勤していた。 5年間の就業満期を迎えようとしていたこ..
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そのシルエットは昔の佇まいのままである私がよく絵画鑑賞に行くようになったのは、現役サラリーマン時代、かつて一緒に働いていた女性から突然、絵画展の招待状を貰ったのがきっかけであった。 封筒の中に絵葉書が入っていた。その絵葉書の絵は彼女..
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今では、英語で〝話す、聞く〟の機会がなくなってしまった先だって読み終えた阿刀田高氏の「私が作家になった理由」の中に、作家の井上ひさし氏が「日本語には音が少ないこと、外国語には音が多いこと」について、阿刀田氏と気軽に語り合ったことが書かれていた。 さ..
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今は頭の中にしか存在しない影絵のような風景である私は満69歳のときに同級生の地域自治区の区長に広報部長になってほしいと頼まれて自治区の広報誌「自治区だより」の編集責任者となった。 広報部長と言ってもアシスタントはおらず、私1人だったので、各種..