記事「猪間驥一」 の 検索結果 253 件
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『経友』から新たな事実1◆近況のご報告 先月末、博士論文を書いて提出するところまで行きました(受持ちの先生には提出の方法を教えてもらえないし、事務室では自分たちには教えられないといわれるし、これはこれでたいへんでした)。..
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猪間追放「後」の派閥抗争大内は、『経済学五十年』(東京大学出版会、1960年)で、東大経済学部の草創期を振り返り、学内対立が起ったのは経済学部独立から10年たった頃であるとして、次のような主張を展開しています。 後年の..
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“10日間限り”の森戸事件森戸事件に関する新聞記事ですが、猪間驥一にスポットライトを当てて、時系列に並べると、実に興味深い事実が浮かび上がってきました。今書いている論文に収録するためにまとめてみましたので、ご覧いただければと..
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森戸事件と大内兵衛の欺瞞1前回取り上げた大内兵衛の3冊の本のうち、『私の履歴書』には森戸事件の概要がまとめられており、これを当時の新聞記事と照合すると、大内のごまかしがはっきり見えてきます。 それでいよいよ森戸君と僕は起..
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大内兵衛と糸井靖之の死ずっと気になっていた大内兵衛と糸井靖之の関係ですが、次の3冊を読んで、新たにわかったことがありました。 ◆大内兵衛『旧師旧友』(岩波書店、1948年) ◆大内兵衛『私の履歴書』(黄土社書店、..
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猪間驥一と日本統計学会2猪間驥一は、日本統計学会における最後の仕事、そして1942年、満州に新京商工会議所へ常務理事として赴任する前の日本での最後の仕事として、次のことを行っています。 学会の事業として最後にもう一つ、..
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猪間驥一と日本統計学会1「社会統計学・論文ARCHIVES(人生という森の探索)」というサイトで、森田優三『統計遍歴私記』(日本評論社、1980年)が紹介されており、そこに猪間驥一の名前が出ていたので、さっそく読んでみまし..
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河合栄治郎クーデター事件猪間驥一の東大追放事件から1年余り後に起った「河合栄治郎のクーデター」、このことについてはすでに書いているのですが、正確さに欠けるところがあったので、あらためて整理しておきます。 1922年11..
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転向していた、鈴木武雄森戸事件を調べるために『エコノミスト』のページをめくっていたら、1956年5月26日号に、「日本財政学会」についての記事があり、その「大内門下の三羽鳥」のところに、次の一文がありました(ちなみに三羽..
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有沢広巳の騙しのテクニック今回は、その有沢広巳の騙しのテクニックについて。 まず最初に、糸井靖之が亡くなった後(つまり、猪間を東大から追放した後)、なぜ猪間でなく、自分が統計学講座を引き受けたのかを説明しなければならない..
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猪間驥一と森戸事件の真実⑤先日、猪間驥一の森戸事件に関連する資料を見ていたら、有沢広巳の『学問と思想と人生と』(毎日新聞社、1957年)が紛れ込んでいて、私がコピーを取った「糸井靖之」の前の項が、「森戸事件」であることがわか..
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猪間驥一と森戸事件の真実④森戸事件について、猪間が触れているのは、1952年に『統計』に書いた次の一節があるのみです(1957年、『人生の渡し場』に収録)。しかも、これは、河合栄治郎が東大に赴任することになった経緯を説明する..