記事「猪間驥一」 の 検索結果 253 件
-
猪間驥一と森戸事件の真実③森戸辰男の『思想の遍歴(上):クロポトキン事件前後』を読めば読むほど、森戸への疑問がわいてきますので、ほんとうはここまで範囲を広げたくないのですが、思いきって書いておきます。 私が一番ひっかかっ..
-
猪間驥一と森戸事件の真実②◆渡辺鉄蔵への驚き 渡辺は、森戸辰男のクロポトキン論文が、論理も学術的価値もないと批判し、反共主義者でもあるので、黎明会の一員として、どのように折り合いをつけたのか、知りたいと思っていました。 ..
-
戦争証言アーカイブス①「NHK戦争証言アーカイブス」というサイトがあって、日本映画社が制作した日本ニュース(映画館にて上映)の1940年から1948年までのものをネットで見ることができます(戦前戦中のものを別にすると、G..
-
大内兵衛グループの犯罪史2やっぱりもう少し書いておきます。 前回書いたのは、大内兵衛グループのうちの、いわば大内・有沢コンビによる、石橋湛山の排除を目的とした吉田茂を利用した策略といっていいものだと思うのですが、今回付け..
-
猪間驥一の地方財政研究④1935年11月「地方財政調整交付金制度の生誕-地方財政改善方策に関する沿革的研究(続)」(1/2) ◎1935年10月、地方財政調整交付金制度案が採択されます(1936年度より実施)。 一 新制..
-
「渡し」とウーラント同窓会大事なことを書くのを忘れていました。 ウーラント同窓会の会員であられる「按針亭(管理人)」さんが、そのサイト上で、拙著『猪間驥一評伝』をご紹介くださり、「目次」・「はじめに」・「おわりに」を掲載..
-
藤田武夫の謎めいた経歴4藤田の戦前の地方財政問題のとらえ方は、私がざっと見た限りでは、戦後間もない1949年12月に上梓された、『日本地方財政發展史』(河出書房)によく表われているように思います。 第六章 昭和二年金融恐..
-
藤田武夫の謎めいた経歴3ここでは、1935年9月に藤田武夫が発表した、「人口別に見たる我国都市財政の不均衡」(『都市問題』第21巻第3号)を取上げます。 まず冒頭部分から。 昭和七年の内務省の地方財政調整交付金案を..
-
猪間驥一の地方財政研究①ここで、猪間驥一と藤田武夫の地方財政問題のとらえ方の違いを明白なものにするために、猪間が、第67議会における議論を受けて、1935年5月、地方財政問題に関する本格的な研究を開始する記念碑的な論文「第..
-
藤田武夫の謎めいた経歴2藤田武夫について、「コトバンク」には、以下のように記されています。 藤田武夫 昭和時代の財政学者。東京市政調査会調査課長を経て昭和21年立大教授。48年大阪学院大教授。地方自治の問題点を財政面から..
-
藤田武夫の謎めいた経歴1財政学者、藤田武夫(1905-1988)は、地方財政問題を研究する人々の間ではよく知られた存在であり、その人物の著作をあらためて検証しなおすなどまったくの想定外のことでした。 では、なぜあらため..
-
内海丁三、石橋湛山との日々(追記)『大蔵省百年史』別巻を調べたら、櫛田光男の名前が出ていました。それによると、 1946年2月2日、大蔵省に理財局が再置され(1945年5月19日に廃止されていた)、櫛田光男が局長に就任する。 1..