記事「猪間驥一」 の 検索結果 253 件
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猪間驥一家、3度目の訪問ついに、猪間家を訪問して、写真と著書をお返しすることができました。 2年半借りっぱなしで、ご連絡もできないままで、お怒りになっても当然であるのに、この非礼を許してくださり、私の猪間驥一研究の話を熱心..
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弓家七郎の都市問題1931猪間驥一の業績の「紹介」を書く予定でしたが、その前に、弓家七郎が『大阪時事新報 』(1931.8.2-1931.8.4)に「現代都市の問題」と題する評論を書いているので、それをご紹介したいと思います。..
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猪間驥一研究計画・追記3●今回は、思い切って、親族の一人に、私が置かれている状況について説明し、今後のことを相談しました。「いまどきそんな先生がいるんだ」と驚かれ、「そんなところ早くやめてしまえ」というのが結論です。やっぱり..
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猪間驥一研究計画・追記1大学の自習室で一人になって、涙が止まらなくなりました。 先ほど、ある方に、この3年間、とくに最後の1年間に起ったことをお話していました。これまで、ごく身近な人たち以外、誰にも明かせなかったことがらで..
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猪間驥一研究計画書5終章 石橋湛山の小日本主義と高橋財政下の三つの構想 『日本人の海外活動に関する歴史的調査』編纂の過程には、もう一つ隠されたエピソードがあった。それは、京城大学にいた鈴木武雄と、かつて『東洋経済新報..
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猪間驥一研究計画書4第二部(終戦直後編) 『日本人の海外活動に関する歴史的調査』成立の過程 第二部では、『日本人の海外活動に関する歴史的調査』が議論される。 第2次世界大戦開始後の1942年、猪間は満州商工会議所..
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猪間驥一研究計画書3第一部(戦前編) 猪間驥一の1920-30年代の人口問題・失業問題研究 第一部では、戦前の人口問題研究における猪間驥一の業績をたどる。 1919年、東京帝国大学に新設された経済学部の第一期生と..
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猪間驥一研究計画書2序章 日本近代史における高橋財政の再評価をめぐって 今日、昭和恐慌期前後における金解禁論争、あるいは1930年代の高橋財政をめぐる議論が再燃している。この章では、金解禁論争における石橋湛山・高橋亀..
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猪間驥一研究計画書1私が、猪間驥一の評伝をまとめた上ですすめようとしているのが、猪間の人口問題・植民地問題認識(日本近代史認識といったほうがよいかもしれません)に関する研究です。この内容は、とりあえず博論計画書として提出..
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弓家七郎の都市と人口問題7ということで、今回から3回にわたって、弓家七郎が名古屋市で行った講義「都市計画に就て」(名古屋市『市政講習会講義録. 第1回(昭和12年度)』)を見ていきます。 40数ページに及ぶ長い講義の記録です..
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弓家七郎の都市と人口問題4弓家七郎の「わが国都市の現勢概観」からの引用です。人口問題について、上田貞次郎や猪間驥一と同じ主張が展開されているのが、非常に興味深く思われます。 前述のように、弓家はこの時期、「我国都市の現勢」(..
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弓家七郎の都市と人口問題2今回は、東京市政調査会が1931年に発刊した『日本都市年鑑』より、執筆担当者を示した「凡例」を引用し、猪間驥一と弓家七郎が、それぞれ「人口」、「都市計画」を専門として、タグを組んで仕事してきたことを確..