記事「生命」 の 検索結果 1097 件
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真実の宗教の役割池田:仏法では、克服の主体である自我は、”大我”と同じであり、したがって、悟ってみれば、自我はたんに”大我”の断片ではなく、それはそのまま”大我”それ自体であると説いているのです。ただし、これはも..
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生命には性善・性悪ともに備わっている池田:人類の生存に対する現代の危機は、人類が自ら招いたものであり、この危機を解決するカギも、また人類の掌中にあるわけです。 結局、道徳的知識をいかにして実践に移すかという問題の核心は、人間のエゴにど..
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究極の実在”に人間的なものを求めるトインビー:人間は、やはり”究極の実在”に対しても、そこに人間的なものを求めずにはいられないようです。たとえそれが気まぐれな暴君のような存在であっても、そのなかに人間的なものを追い求めるのでしょう..
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法を根本とする宗教池田:仏教は、自然の森羅万象と一切衆生とに遍く存在している生命の法を根本にした宗教です。いいかえれば、宇宙と生命に内在する根本の”法”に合致していくことが、仏教の第一義であり、そこから、人間が自然..
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生命の因果について池田:生命現象は、長期間観察していけば、不確定性をともなった統計的因果として把握できるものではありますが、この不確定性における自由度は、人間生命の場合、物質や他の生物に比べて、当然、比較にならない..
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如是とは真実をありのままにとらえた池田:あらゆる生命は、その独自の一貫した性質をもちながら、外界との関連のうえから、一瞬一瞬変化し、脈動しています。 これまで私は、生命をその主観的な”生命感”の状態によって十種の範疇に立て分けた”..
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円と点という区別・・・それにもかかわらず、霊のもつある能力は円として考えられるべきであり、他の能力は点として考えられるべきである、という区別が看取されなければならない。中心点のない円というものが想像できず、また逆..
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”十界論”のもつ生命変革の原理池田:結論を申し上げれば、”十界論”では、あらゆる生命が、本来、この十界をすべて内包していると説かれています。したがって、ここから、あらゆる生命は――すべての人間は当然のことですが――”仏”という..
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仏界は生命の中に常住する池田:涅槃に入った菩薩の”仏界”は、昇天後のキリストと似ているのか、とのご質問ですが、ここに、仏教が”法”を根本として示すのと、キリスト教が”人格”または”神格”を根本とするのとの違いがあります。..
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死後も続く世界全体池田:仏法には”十界論”という生命観があります。この”十界論”とは、生命を、その幸福観の状態ないし姿勢について、十種の範疇に分けるものです。そして、人間はもとよりあらゆる生物において、一瞬一瞬、その条..
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欲望を断ち切るのではなく乗り越える池田:北伝仏教では”生死即涅槃”と説いて、生死を繰り返すこの生命のままで、涅槃に入ることができると教えます。欲望を断ち切れとは教えていないのです。ではどうすればこの輪廻する生命はそのまま涅槃に入り..
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理解されるはずの”実在それ自体”トインビー:ここで、私は、冒頭でふれたカントの命題に再び戻りたいと思います。すなわち、空間と時間は、人間の思考にとってあくまで不可避の範疇なのです。そして、空間や時間を基準にしてしか感知できない現..