記事「田口タキ」 の 検索結果 53 件
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「最後の手紙」と言われる書簡の内容が全集によって違う!びっくりです。佐藤三郎さんの、タキの結婚辞退「1月説」から、いろいろなことが考えられることが明らかになっています。 「最後の手紙」といわれる書簡の内容が、『定本 小林多喜二全集』と『新装版 小林..
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タキの結婚辞退「1月説」 佐藤三郎さんの考察島村先生の「タキ宛書簡『お前』をめぐって」の考察を読んで、タキへのプロポーズが佐藤三郎さんの年譜では「1月下旬」になっていることに気付きました。 このことに関して、佐藤三郎さんから、ブログへの投..
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田口タキへの「最後の手紙」 ここにも「思い込み」があった!田口タキへの「最後の手紙」とされていた1933年1月田口瀧子宛書簡に関して、御影暢雄さん、takahashiさんからコメントが寄せられています。 そのコメントを読んで仰天!です。「最後の手紙」と..
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1933年1月 田口瀧子宛 最後の書簡久し振りで来てみた。(9時頃。)多分居ないだろうとは思ったが、お母さんとでも会ってみようと思って。何時か静江さんから伝言してもらった通り、あれから家に帰らない転々とした生活を続けている。然し元気で、..
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1931年8月1日 田口瀧子宛 書簡君はもう見たろうが、28日の時事に、「壁小説の白眉」と云う見出しで、ぼくの「テガミ」を激賞していた。昨日の朝日にも、国民新聞にも「テガミ」が、あの壁小説の中で一番いいものとして批評されている。何より..
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田口タキへの手紙 瀧ちゃん→お前→君田口瀧子宛書簡を紹介してきましたが、あと2通で全集収録の田口瀧子宛書簡は終わります。以前にケイさんが、1930年11月22日の手紙で「お前」と書いていることについてコメントされていました。 この..
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1931年1月26日 田口瀧子宛 書簡出てから直ぐ知らせる積りだったが、斎藤が若竹町へ電報を出してくれたので、同時に知ってくれたと思うので、今までのびてしまった。とにかく元気で出てきた。出てきてみると、世の中の色々なことが、ゴチャゴチャ..
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1930年11月22日 田口瀧子宛 書簡今日(11月22日)は、空は高く澄んでいる。お前はこの手紙では、雨の降った日、此処にいるぼくたちがどんな気持でいるだろうと書いていた。然し、ぼくは、空が青く明るく澄んでいるのを見ると、憂鬱になるのだ..
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1930年10月31日 田口瀧子宛 書簡12日のお便りをもらった。ぼくのこの前の手紙は、少し神経衰弱で、イライラしていた時に書いたので、変な文句もあったように覚えている。それは、この前の面会の時と、今度の手紙で取消し、或いは訂正さして頂く..
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1930年10月11日 田口瀧子宛 書簡此処へ来てから、40日目で、始めて瀧ちゃんから便りをもらった。可哀そうに、手紙を出していいか、悪いかさえ分らなかったのだね。斎藤が知っていた筈だから、知らせてくれたこととばかり思っていた。色々なこと..
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『「文学」としての小林多喜二』「監獄の窓から見る空は何故青いか」多喜二の女性観にも触れた「監獄の窓から見る空は何故青いか」。タキ宛書簡をアップしてからと考えていましたが、ケイさんから斎藤次郎が気になるとのコメントがありましたので、紹介ついでに書いてみます。 ..
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1930年10月2日 田口瀧子宛 書簡1930年10月2日 田口瀧子宛 書簡 今日は10月2日。もう秋である。この二、三日の空の青さは心にしみ入るようだ。殊に高く取り付けてある赤煉瓦の窓をとおして青空をみる、その青さは又別である。瀧ち..