記事「田口タキ」 の 検索結果 53 件
-
1930年9月4日 田口瀧子宛 書簡1930年9月4日 田口瀧子宛 書簡 筆が悪いので思うように書けません。 - とうとう暫くのお別れが来ました。6月24日から、色々な真夏の東京の留置場を通って、8月21日ここへ廻ってきました。どの..
-
1930年3月5日 田口瀧子宛 書簡そろそろ私がタキ宛書簡の掲載を始めた意味を理解していただいたようですね。めいさん、続きをどんどん読みたいでしょう? この間、忙しくて書簡の紹介ができずにいましたが、これからの書簡が私が多喜二特集..
-
1930年2月 田口瀧子宛 書簡1930年2月(日なし) 田口瀧子宛 書簡 瀧ちゃん、僕が今、どんな気持ちでこの手紙を書いているか、それを、とても手紙では云えないことを、どんなに残念に思っているか分らないのだ。 たしかに、受..
-
1929年5月16日 田口瀧子宛 書簡1929年5月16日 田口瀧子宛 書簡 この前の夜は(一九二九、五、一四)又、私達には忘れることの出来ない日になった。彩子ちゃん(少し、なれないので変だが、彩子ちゃんの幸福のためにそう呼ぼう。)も..
-
1927年5月 田口瀧子宛 書簡1928年1月1日の日記は有名ですが、あの日記を書くに至る思想的変化までの多喜二の重要な思想を示したものとして注目される書簡だと私は思っています。 タキへの手紙の「質」が明らかに変わっています。..
-
1927年3月15日 田口瀧子宛 書簡1927年3月15日 田口瀧子宛 書簡 第二便。 演説会へ行ったが、満員で入れず、表には武装した巡査が何十人も立って居り、入れないでいる人々が何百人も立ち去りもしないで表にいるのだ。そしてそうい..
-
1927年3月15日 田口瀧子宛 書簡1927年3月15日 田口瀧子宛 書簡 第1便。 窓の事ではすっかり御気の毒なことをしてしまった。あんな事を云ってから、毎日のように予定が狂って、通れなくなってしまった。これからもその時間頃に..
-
1927年3月 田口瀧子宛 書簡1927年3月(日付なし) 田口瀧子宛 書簡 大成功だ!瀧ちゃんは日曜日のあの頃祈っていてくれたんだねえ。初めて出てあの位の成功を得るなんて、まるで奇蹟でなくて何んだろう。イヤ奇蹟でもなんでも無い..
-
1927年2月28日 田口瀧子宛 書簡1927年2月28日 田口瀧子宛 書簡 ご無沙汰をしてしまった。余市の方の講演の用意で、手紙を書く時間がなかった。此前の瀧ちゃんの手紙は本当に僕には明るく、ほがらかであった。幸福なセンチメントを自..
-
「万歳々々」とタキ多喜二自身が日記で、「自分としてはめずらしい、幸福な、明るい、ナイイブな気持ちをもった二人の恋愛を描いたものである。この位、いい気持ちで時々微笑しながら書いたものは、今まで絶無と云っていい」というぐ..
-
1927年2月 田口瀧子宛 書簡1927年2月(日不明) 田口瀧子宛 書簡 Letterを読んで、僕は涙が出てくるのを感じた。瀧ちゃんの気持ちをちっとも考えてやることもせずに、あんな事を云ったことに対して、本当に済まなさを覚えて..
-
1927年2月15日 田口瀧子宛 書簡1927年2月15日 田口瀧子宛 書簡 啄木の歌にはいいものは非常にいいが、飛んでもなく変なものもある。それで、僕が一番すうと読んでみて、これならばと思われるものを読んでみた。歌の肩に印をつけてあ..