記事「発祥」 の 検索結果 337 件
-
国学発祥の地国学は、伏見稲荷大社神職であった荷田春満により江戸で始められた学問。 荷田春満に最初に入門したのが神田明神神主家の芝崎好高であり、邸宅を 講義の場として提供するなど国学の普及・発展につとめたとのこ..
-
銀座発祥の地銀座とは貨幣の鋳造所のことで、各地に存在していましたが、江戸では、慶長17年(1612年)に駿府銀座より移転し、現在の東京都中央区銀座二丁目にあたりに、常是屋敷および銀座役所がおかれたとのことです。
-
河内音頭発祥の地室町時代、八尾の常光寺の伽藍再興の際に、造営材木を川を流して運ぶ 運搬者の掛け声が「木遣り音頭」となり、念仏踊りと一体となったそうです。 昭和初期、音頭取り有志がそれを「流し節正調河内音頭」と表示..
-
外国人墓地(玉泉寺)日米和親条約によって下田が開港すると、下田追加条約により、玉泉寺が 米国の埋葬所に指定され、これが日本初の外国人墓地とのことです。 境内には、5基のアメリカ将兵の墓と、4基のロシア将兵の墓がありま..
-
日本最初の屠殺場の跡静岡県下田市の玉泉寺境内にある、日本最初の屠殺場の跡。 幕末の安政3年~6年の間、玉泉寺には米国総領事館がおかれていて、 領事館員の食料にするため、仏手柑の幹に牛を繋いで屠殺したそうです。
-
牛乳の碑下田市の玉泉寺境内にある、日本における牛乳発祥を記念する碑。 安政5年(1858年)2月、病床にあった米国総領事ハリスのために、待女お吉 が禁を犯して下田近在から牛の乳を集め、ハリスに毎日与えたと..
-
ビール井戸跡横浜市立北方小学校の校庭にある、ビールづくりに使われていた井戸跡。 北方小学校周辺は、日本のビール発祥の地とされ、この井戸は明治28年 (1895年)年から7年間ほどビールつくりに使われていたそう..
-
我国塗装発祥之地記念碑嘉永7年(1854年)2月13日、ペリー再来航の際、江戸の渋塗職人 町田辰五郎が、横浜応接所建物外部のペンキ塗装を命じられ、これ が、我国で最初にペンキが使用された最初の例とのことです。
-
独鈷の湯弘法大師が大同2年(807年)に修善寺を訪れたとき、手に持った独鈷杵で川中の岩を打ち砕き、霊泉を噴出させ、その湯で病人が完治したそうです。これでこの地方に湯治療養が広まり、修善寺温泉が始まったとされて..
-
歯科医学教育発祥之地東京都港区三田の伊皿子交差点に面して, 黒御影石の碑が建っています。 高山紀斎は、明治23年(1890)年1月、 わが国最初の歯科医学校として、 この地に、高山歯科医学院(現在の東京歯科大学)を設..
-
京都電信電話発祥の地京都市中京区三条通東洞院、NTT京都支店の裏側に 建つ碑。 この地に、明治5年(1872年)年、西京電信局が設置され、明治30年 (1897年)には京都電話交換局が設置され,交換業務が開始されまし..
-
永昌寺東京上野にある浄土宗のお寺。肥前藩主松浦壱岐守の妻、永昌院が開基 であるための寺号であるとのことです。明治15年に加納治五郎がここに講 道館の最初の登場をを設立し、講道館柔道発祥の地となっています..