記事「発祥」 の 検索結果 337 件
-
地名「御殿場」発祥の地元和元年(1615年)、徳川幕府は、家康が江戸~駿府を往復する際の 宿泊所として、現在の吾妻神社がある辺りに御殿を造営しました。 その「御殿のある場所」という意味で御殿場の地名が発症したそうです。..
-
納豆発祥の地後三年の役の折、農民に煮豆を俵に詰めて提出させたところ、数日経って 糸を引くようになり、食べてみたら美味しかったというのが始まりととのこと。 金沢の柵跡に、納豆発祥の地の碑があります。
-
沼館八幡神社沼の柵跡のすぐ近くにあり、男山八幡宮の御分霊を勧請した神社だそう です。前九年の役の前後には、源頼義・義家父子が参拝したと伝わり、 また、後三年の役の際には、この地で納豆が発祥したと伝わっています..
-
ウチキパン横浜の元町通りに並行して通る元町仲通りの入り口にあるパン屋さん。開港 当初、イギリス人のパン職人の店で修行をしていた打木彦太郎が暖簾を引き 継ぎ始めたお店で、ここで日本の食パンが始まったそうです。..
-
日本国新聞発祥の地アメリカから帰国したジョセフ彦(浜田彦蔵)は、文久4年(1864年)に横浜で 初めて手書きの新聞を創刊し、定期的に刊行するようになったとのこと。当初 は 「新聞誌」という誌名で、外国新聞の翻訳を用..
-
我国西洋歯科医学発祥の地横浜中華街の近く、勤労会館角に建つ「我国西洋歯科医学発祥の地」の碑。 歯科医師として横浜に来日した米国人のウィリアムス・イーストレーキ師が 3度目に来日して診療所を明治44年(1911年)に開設し..
-
卵形下水管横浜市中区山下町の中土木事務所の前に展示されている卵形下水管。 明治3年(1871年)に、関内居留地内全域に埋設された陶管で、これが、 わが国最初の近代的下水道だったとのことです。
-
二条城撮影所跡京都市立中京中学校の南東角に建つ、二条城撮影所跡を示す碑。 この地に明治43年(1910年)、横田永之助の横田商会により、京都初の 撮影所である「二条城撮影所」が開設され、2年間使われたそうです。..
-
平塚商業発祥地(八幡大門通り・浜大門通り)八幡大門通りは八幡神社(現平塚八幡宮)の表参道で、東海道までの区間。 明治20年(1887年)平塚停車場(現平塚駅)開業以来、最初は浜大門通り が繁昌し、次いで八幡大門通りに中心が移ったとのことで..
-
蕎麦切り発祥の地山梨県甲州市大和町木賊にある、天目山栖雲寺に碑が建てられています。 蕎麦は初め、実を粉にして食べるそばがき、そば餅として食べられており、 今の様な細く切って茹でた蕎麦(蕎麦切り)は、ここ栖雲寺の発..
-
信州そば発祥の地長野県伊那市の西方郊外、駒ケ岳神宮境内にある、行者そば発祥の地の碑。 里人たちが役小角か らもらった「そば」の種を 大事に育て「行者そば」と呼び、 その「そば」が信州全域 に広がり「信州そば」とい..
-
駅伝発祥の碑我が国最初の駅伝は、奠都50周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」 として、大正6年(1917年)4月27日~29日の3日間にわたり開催され、 京都三条大橋をスタート地点、上野不忍池をゴールとして..