記事「石橋湛山」 の 検索結果 160 件
-
歴史的調査と植民地研究1973年、『日本人の海外活動に関する歴史的調査』の復刻刊行を企画した出版社に対して、大蔵省が、国家の著作権を根拠に、東京地方裁判所に仮処分申請書を提出し、差し止めが認められるという事件が起ります。こ..
-
湛山日記の渡辺鉄蔵『日本人の海外活動に関する歴史的調査』の関連で、あと二つ重要な資料があるのですが、その検討に入る前に、他の話題を一つだけ・・・ 『石橋湛山日記』をぱらぱらめくってみて、もう一つびっくりしたのが、石橋..
-
湛山日記の猪間驥一2東京を何日か離れていたので、前回の記事を放りっぱなしにするかたちになりました。ほんとうは記事を書く前に、『石橋湛山日記』の、増田弘による「解説」を読んでおくべきだったのですが・・・ その間、いくつか..
-
湛山日記の猪間驥一『石橋湛山日記』というものがあって、1945年1月1日から1957年1月23日までの、政治家時代を中心とした、湛山の交友の記録を見ることができます。インデックスがあって、そこから猪間の名前のあるページ..
-
湛山と戦後の人口問題石橋湛山について、訂正を含めていくつかのことを書きたいと思っているのですが、目についた記事や論文があると、つい後まわしになってしまいます。 というわけで、今回は、湛山が人口問題について触れた「八千万..
-
注意を与えてくれる猪間君石橋湛山のエッセーの中でたった一つ、猪間の名前が出てくるものを見つけました。 去る三月二十四日号の本誌の「幣原さんの思い出」の中に、私は幣原さんから聞いたデニソン氏の話しを書いた。ところが、これには..
-
歴史的調査が語るもの4以前にも触れたことがありますが、ここで、『日本人の海外活動に関する歴史的調査』「総論の一」の「結論」から、石橋湛山らの言説・活動を指すと思われる、日本の「平和主義的な思想」、「平和主義的な勢力」に言及..
-
歴史的調査が語るもの3さて、『日本人の海外活動に関する歴史的調査』が、「明確に日本の植民地支配を肯定する立場に立っている」とされていることについてはすでに述べていますが、これが誤りであることをここで確認しておきたいと思いま..
-
歴史的調査が語るもの1先日、石橋湛山と猪間驥一の関係について、年表を整理しなおしていて、ようやく、『日本人の海外活動に関する歴史的調査』の編纂の過程について、重要な見落としがあったことに気づきました。 長い間、この編纂の..
-
憲法改正への一提案11952年8月、猪間は、『東洋経済新報』誌上に「再軍備のための憲法改正の一提案」を発表します。今日的視点からも重要な課題を提供しているように思えるので、ここに紹介します。 50年代前半、石橋湛山が..
-
家族が語る猪間驥一4ようやく一つ、大きな謎が解けたような気がします。 猪間が満州に渡った理由が話題になったとき、お一方が「けっきょく経済的なものが大きかったのではないかしら」といわれ、それがもっとも妥当な結論のように思..
-
湛山に学んだこと1猪間驥一と石橋湛山の関係が深まるのは戦後のことと思われますが、両者の終戦直後の年表を重ねてみると、ある事実が浮かび上がります。 1946.5 湛山、第一次吉田茂内閣で蔵相等就任 1946.11 猪..