記事「石橋湛山」 の 検索結果 159 件
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ぬかるみ中の石橋湛山研究先日、国立国会図書館へ行って、一橋大学図書館所蔵『大陸東洋経済』の欠番を、復刻版によって補ってきました。その内容については前回記事に反映させています。 復刻版『大陸東洋経済』(2001年)の冒頭..
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石橋湛山と『大陸東洋経済』昨日、一橋大学図書館へ行って『大陸東洋経済』40号中31号分に目を通してきました。先日、国会図書館へ行こうとしたら祝日で休館となっており、今週中はどうしても出かけることができないので、その前に一目見..
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高橋亀吉の経済評論50年3東亜経済ブロック内の植民地重工業化を、鈴木武雄は大陸前進兵站基地構想という名の下に、高橋亀吉は大東亜共栄圏構想の名の下に行おうとしていたことはすでに述べました。 文献を整理するために、亀吉の19..
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北山冨久二郎の台北時代5『西園寺公一回顧録「過ぎ去りし、昭和」』(1991年、朝日新聞社)を読んで、前述の尾崎秀実がスパイ事件(ゾルゲ事件)で逮捕されたというニュースが届く場面とともに興味深かったのが、処刑された尾崎のお通..
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猪間驥一の東大追放・補3有沢広巳の『学問と思想と人間と』(1957年、毎日新聞社)では、病気(1922年7月、発病)で助手を辞めたことになっていた「猪間君」ですが、前回の大内兵衛『私の履歴書』(1951年、黄土社書店)では..
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北山冨久二郎の台北時代『日本人の海外活動に関する歴史的調査』総論の「序」には、その編纂に関わった編集委員、猪間驥一、鈴木武雄、北山冨久二郎、金子滋男の4名の署名があります。 このうち猪間驥一に関しては、背後に大蔵大臣..
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「我国に外戦の危険無し」石橋湛山の社説「我国に外戦の危険無し」については、「石橋湛山と上田貞次郎の接近」のところですでに書いていると思っていたのですが…。しかもいったん書いてないことに気づいて、そのうち書きますというようなこ..
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鈴木武雄の二股について前回記事の、鈴木武雄が二股をかけていたことについて、あるいはそのキャラクターについて、少し補足しておきたいと思います。とはいっても、すでに述べていることを整理するだけです。 ①東京帝国大学経済学部大..
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引揚げ直後の鈴木武雄『鈴木武雄―経済学の五十年』の該当部分を読み直してみたら、1945年11月、京城より引揚げた後、1946年6月、東京市政調査会の嘱託となるまでの動きがややはっきりしてきましたので、まとめてみました(2..
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猪間驥一の何がすごいのか3●猪間驥一の関わった人々(戦後1950年代まで) 【大蔵省・在外財産調査会】 石橋湛山:在外財産調査会設立時、第一次吉田内閣の大蔵大臣。編纂の途中で公職追放になる。なお猪間は、1950年、東洋経済..
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猪間驥一の何がすごいのか2猪間驥一の業績をまとめたついでに、戦前・戦後にわけて猪間の関わった人々について、メモしてみました。それぞれ有名な人々ですが、それはWikipedia等でチェックしていただくとして、ここでは、あくまでも..
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猪間驥一の何がすごいのか日本人口問題研究のパイオニアとも称せられるべき、猪間驥一の主な業績をまとめてみました。なお、この記事は適宜、修正を行う予定であることを、あらかじめおことわりしておきます。 戦前:統計学の普及・人..