記事「秋田」 の 検索結果 7050 件
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小田野直武像小田野直武は秋田藩士で秋田蘭画と呼ばれる一派を形成した画家。 平賀源内から洋画を学び、前野良沢・杉田玄白らによる「解体新書」の 翻訳にあたっては大量の図版を写し取り、描いたことで知られています。角館の..
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御隅櫓(久保田城)久保田城内には8つの御隅櫓がありましたが、この御隅櫓は市政100周年を記念して復元されたもので、本丸の北西隅に位置していた御隅櫓です。 建物の内部では、城主佐竹氏の歴史を解説したパネルが展示されていま..
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佐竹義堯像佐竹義堯は第12代秋田藩主で、版籍奉還後には久保田藩知事となった人物。 戊辰戦争では新政府方に属して戦い、明治維新の激動期に近代秋田を開きました。千秋公園、久保田城の本丸跡に銅像が建てられています。
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八幡秋田神社秋田市の千秋公園、久保田城本丸跡に鎮座する神社。初代藩主である 佐竹義宣公始め、歴代の藩主を祀る秋田県の有形重要文化財でしたが、 平成17年(2005年)に放火により社殿を焼失、新しい社殿が平成20年..
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久保田城表門(一の門)久保田城表門は長坂を上がりきった処にある久保田城本丸の正門。 この門は絵図などの文献資料や発掘調査の成果をもとに、平成11年(1999年)から 2年計画で再建したもので、木造2階建て瓦葺きの櫓門となっ..
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久保田城跡久保田城は羽後国(旧出羽国)秋田郡久保田(現在の秋田市に)あった城。 関ケ原以後に佐竹氏がこの地に入り築城し、明治まで佐竹氏の居城でしたが、 現在は千秋公園として整備され市民に親しまれています。
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贄の柵跡楡の柵は、奥州藤原氏の重臣であつた河田次郎が館を構えていた場所。 文治5年(1189年)、平泉を捨てた藤原泰衡は贄の柵の河田次郎を頼り、 家臣3名と共にこの地まで逃れて来ましたが、結局この地で自害した..
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錦神社秋田県大館市二井田に鎮座し、奥州藤原氏の4代目、藤原泰衡を祀る神社。 数代の家来である河田次郎の裏切りに遭い、自害に追いやられた泰衡の首の無い遺体を、憐れんだ里人達が錦の直垂に包み埋葬した処とのことで..
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西木戸神社秋田県大館市比内町に鎮座する神社で、ご祭神は奥州藤原氏の第4代藤原泰衡の夫人。 文治5年(1189年)、夫人は平泉から落ちのびた藤原泰衡を此処まで追ってきましたが、夫の悲報 に触れて自害したとのこと。..
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石崎遺跡秋田県南秋田郡五城目町の田圃の中にある古代の最北の城柵跡。 奈良・京都を中心とする朝廷の出先機関と考えられ、出羽北部の秋田方面で重要な軍事的・政治的役割を果たしていた施設と考えられているそうです。
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中山遺跡秋田県五城目町にある縄文時代後期の遺跡。 日本最古の編布、漆塗り飾櫛、飾弓、赤漆塗土器などが多数出土し、当時の 高度な漆工技術を示すものとして、これらの出土品は県有形文化財に指定されています。
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雀館古代井戸秋田県五城目町の雀舘公園にある平安時代の井戸。 秋田城の出先機関であると伝わる石崎遺跡周辺村落の実在を証明した遺跡。 周辺には、岩野山古墳群、縄文時代の遺跡である中山遺跡などもあります。