記事「秋田」 の 検索結果 7050 件
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横手城秋田県横手市にあり、朝倉城、阿櫻城、とも呼ばれる城。関ヶ原の戦いの時には西軍、戊辰戦争の時には官軍側の城となりました。天守閣は無い城でしたが、郷土資料館として模擬天守閣が建てられています。
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景政功名塚鎌倉権五郎景政は僅か16歳で源義家に従い後三年の役で活躍しました。戦いの終わった後、景政は源義家の命により、敵の屍をここに葬って供養の塚をつくり、その塚の上に杉を植えたと伝わっています。
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金澤八幡宮(金沢柵跡)源義家が藤原清衡に命じて後三年の役の舞台となった金沢柵跡に京都の石清水八幡宮の八幡神を勧請して創建した神社。その後、義家の弟の義光の家系である佐竹氏が秋田藩主となり篤く信仰されました。
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兜杉(金沢の柵跡)後三年の役で勝利を収めた源義家が金沢の柵を訪れた際、着用していた兜をここに埋め、藤原清衡はそこに大石を置き杉の苗を植えたと伝わっています。その後、この地は神聖化され、兜八幡神社が勧請されたとのことです..
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納豆発祥の地後三年の役の折、農民に煮豆を俵に詰めて提出させたところ、数日経って糸を引くようになり、食べてみたら美味しかったというのが始まりとのこと。金沢の柵跡に「納豆発祥の地」の碑があります。
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平安の風わたる公園後三年の役の際の古戦場である西沼を中心にして整備された歴史公園。源義家が金沢の柵に向かう途中、飛んでいた雁が突然列を乱したことから、敵の伏兵がいることを察知し、難を逃れたとされている場所です。
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源義家像源頼義の長男で、後の源頼朝、足利尊氏などの祖先にあたる武将。八幡太郎の通称があり、前九年の役、後三年の役で活躍し、東国武士の信望を集め、東国における源氏勢力の基盤を築き上げました。
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清原家衡像奥州藤原氏の初代藤原清衡(清原清衡)の異父弟。後三年の役の初めは清原清衡と組んで清原真衡と争いましたが、清原真衡の死後は、清原清衡と争い、金沢柵が落城し処刑されました。
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清原武衡像後三年の役で清原家衡と共に清原清衡・源義家連合軍と敵対した武将。清原家衡に拠点を沼柵よりさらに堅固な金沢柵へと移すことを勧め、共に金沢柵に籠りましたが、金沢柵の陥落後、捕えられ斬首されました。
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一の木戸跡後三年の役の際の戦場となった一の木戸跡と伝えられている処。沼の柵跡のすぐ近くにあるところから、柵の一部だったと考えられているそうです。現在は、雄物川中央公園として整備されています。
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沼館八幡神社京都の男山八幡宮の御分霊を勧請したと伝わる、沼の柵跡のすぐ近くに鎮座する神社。前九年の役の前後には、源頼義・義家父子が参拝したと伝わり、また、後三年の役の際には、この地で納豆が発祥したと伝わっています..
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沼の柵跡後三年の役の際、清原家衡がこの柵に立て籠もって源義家軍を迎え撃ちました。四方を水で囲まれたこの柵は難攻不落で、義家軍は苦戦しついに撤退。このあと、清原家衡はより強固な金沢の柵へと拠点を移していきました..