記事「茨城」 の 検索結果 5644 件
-
石井の井戸この地を見回っていた平将門が喉が渇いて急に水が欲しくなった時のこと。老翁が現われ大石を軽々と持ち上げ大地に投げつけると、そこから清水が湧き出し、将門たちは喉を潤すことができたという伝説の井戸跡です。
-
九重の桜茨城県坂東市岩井にある平将門が植えたと伝えられている桜の木。九重というのは皇居又は王宮の事を指す言葉で、この桜は京都御所の紫宸殿前にあった桜を株分けしたものだそうです。
-
一言神社茨城県坂東市岩井、石井の井戸のすぐ近くに鎮座する神社。老翁が一言「水」と言って大量の水を湧き出させたので、平将門公と従兵達は喉を潤す事が出来たという逸話に出てくる老翁がご祭神だそうです。
-
延命寺延命寺は茨城県坂東市にある真言宗豊山派のお寺で、別称は「島の薬師」。このお寺の薬師堂内の厨子殿に奉安する薬師如来像は、平将門の守り本尊と称する持護仏で、将門の死後に祀られたものと伝えられています。
-
島広山(石井の営所跡)茨城県坂東市岩井の国王神社から近くのところにある平将門関係の史跡。平将門が関東一円を制覇するときに拠点とした石井営所跡と伝わるところで、名実ともに将門の政治、経済、軍事の拠点として賑わっていた処だそう..
-
国王神社茨城県坂東市に鎮座する神社。平将門の戦死の際、難を逃れ奥州に隠棲していた将門の三女が、将門の33回忌にあたる天禄3年(972年)にこの地に戻り、将門の像を刻んで安置し祀ったのが始まりとのことです。
-
藤田小四郎之像藤田小四郎は、水戸藩主徳川斉昭の側用人であった藤田東湖の四男。元治元年3月27日(1864年5月2日)、即時鎖港の要求・支援のため同志など60人余りとともに筑波山で挙兵し失敗。越前国新保で加賀藩に捕縛..
-
筑波山神社(拝殿)筑波山神社は、茨城県つくば市に鎮座する神社で、神社本殿は筑波山の西峰・東峰の両山頂に1棟ずつ鎮座しています。その両本殿を遥拝する処として山腹に拝殿が設けられて、一般に「筑波山神社」という場合は、この拝..
-
筑波山神社男体山本殿筑波山は西峰・東峰からなる双耳峰であり、筑波山神社本殿はその両山頂に1棟ずつ鎮座しています。標高約871mの西峰(男体山)頂上に鎮座しているのが、ご祭神を筑波男大神=つくばおのおおかみ(伊弉諾尊=イザ..
-
昭和天皇御製碑(筑波山)昭和天皇が、昭和60年(1985年)4月26日の筑波山行幸時に詠まれた「はるとらのを ま白き花の 穂にいでて おもしろきかな 筑波山の道」の歌の碑が、男体山と女体山の間の御幸ヶ原に建てられています。
-
ガマ石筑波山の女体山から男体山に向かう途中の尾根沿いにあるガマの姿に似た岩石。筑波山のガマの油は、独特の語り口のガマの油売りとして大変有名ですが、その昔、永井兵助がこのガマ石の前で7日間座禅を組んで、あの口..
-
筑波山神社女体山本殿筑波山は西峰・東峰からなる双耳峰であり、筑波山神社本殿はその両山頂に1棟ずつ鎮座しています。標高約877mの東峰(女体山)頂上に鎮座しているのが、 ご祭神を筑波女大神=つくばめのおおかみ(伊弉冉尊=イ..