記事「谷崎潤一郎」 の 検索結果 216 件
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中也の青春 5 「痴人の愛」ナオミ(承前)「上海での永住」という望みを持っていた富永太郎だが、それはならず、二カ月ばかりの滞在で帰国、一端は自宅へ戻ったが、旧制第二高等学校の同級生である正岡忠三郎の下宿先に富永がやってくるのは1924..
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中也の青春 4 谷崎と映画俳優たち(承前) 前日から箱根で静養していた谷崎夫婦は、いつもの定宿から小涌谷の新しいホテルに移り、翌九月一日昼前、もとの箱根ホテルに戻るバスに乗り合わせていた時、関東大震災に遭遇、その日は野宿し、なんとか..
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中也の青春 3 日本初の水着女優(承前)本題から外れますが、もう少し映画の話を綴ります。 『アマチュア倶楽部』は1920年四月に設立された映画の制作会社大正活英株式会社(略称・大活)の第一作で、脚本は小説家の谷崎潤一郎が自ら書き、..
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中也の青春 2 谷崎潤一郎と映画(承前) 著名な小説家として知られる谷崎潤一郎(1886~1965)ですが、彼は早くから映画による表現について深い関心を示していた様で、まだ三十代になって間もない1917年九月『新小説』という雑誌に..
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平貞文 - 平安時代の実践スカトロジスト ~ 齋藤杏花 (さいとうあんな)も娘時代によく言われた「うんちを喰わされたい」でウンコ耐性は持ってますよ! …って私ゃ誰に云ってるんでせうか?いや、ホント、さびっスね。 現在、筆ならぬマウスを取ってるのは前日である5日の昼下がり、これから降り出すとの脅かし天気予報に心穏やかならぬ時分です。 つーことで、とても春が立っている、過去完了..
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2146 それぞれの母への思い『今しかない』でつづる懐かしい時代 &..
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小林多喜二と谷崎潤一郎 時代の共有よこさんのリリアン・ギッシュの話などから、当時の時代相と多喜二のことなどが話題になっています。島村先生から谷崎潤一郎との時代の共有についてコメントがありました。以下に転載します。 リリアン・..
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「痴人の愛」谷崎潤一郎著驚いた。書かれたのは大正時代、今から約80年も前の作品である。にもかかわらず、題材と云い心情と云い全く古びていない。扇情的に書くならテーマは調教と逆転である。 初読は当Weblogの例によって..
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「瘋癲老人日記」谷崎潤一郎著マイ本棚で隣に並んでいたので「鍵」に続きこの作品をUPすることになりました。 テーマは「鍵」と同じく老年期の性衝動でありながらも、「瘋癲老人日記」においては「鍵」で夫婦の日記という体裁を採って..
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「鍵」谷崎潤一郎著十一月二十一日…・・・・・・前回うぇぶろぐヲ書イテカラフト気ガ付クト一週間以上ガ経過シテイル。自分ノ頭脳ガ日ニ日ニ駄目ニナルツツアルコトガ自分ニモ分ル。新作げぇむヲ買ツテ以来、他ノ一切ヲ放擲シテきゃ..
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きょう7月30日は『谷崎忌』・・・続々『六十四卦雑感』よりおはようございます^L^ きょう7月30日は乙未月癸丑日・・・「土用の丑の日」です。 夏の「土用の丑の日」にウナギを食すということの起こりは平賀源内が書いたキャッチコピーから、という定説のよう..
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「春琴抄」 谷崎潤一郎 著これは高校時代の菊地先生の読書会としての記憶はなく、他の同期からも聞かないが、『刺青』が読書会のイメージと本文が違うから、こちらの印象はどうかと思って読んだものである。 盲目の三味線師匠の春琴に..
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