記事「道標」 の 検索結果 261 件
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四谷不動藤沢市城南の東海道と大山道の分岐点に建てられていた道標。この辺りは四ツ谷辻と呼ばれていて、東海道と大山道の交差する場所として立場があり、茶屋が立ち並び賑わっていたとのことです。
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江ノ島弁財天道標藤沢市の遊行ロータリーにある江ノ島弁財天道標。鍼術の考案者で江の島弁財天を厚く信仰した杉山検校が江ノ島への案内として48基の道標を建立し、そのうち11基が現存しているそうです。
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弘法大師道標川崎大師への参詣客のために、寛文3年(1663年)に建てられ道標。現在は川崎大師の境内にありますが、当初は、川崎宿下手の土居(川崎宿の多摩川寄り入口)付近にあったそうです。
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北向地蔵享保2年(1717年)に、僧三譽伝入が天下泰平・国土安全を祈念するとともに、旅人の道中安全を祈願して建立したそうです。ここは「かなざわかまくら道」の分岐点であり、道案内も兼ねていたようです。 ..
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金沢横丁道標横浜市の旧東海道の程ヶ谷宿金沢横丁に残されている道標4基。程ヶ谷宿周辺からは、金沢鎌倉道、八王子道、大山道、の各街道が分岐していて、その分岐点にたてられていた道標とのことです。
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相武国境之道相武の相は相模で現在の神奈川、武は武蔵で現在の東京のこと。相模の国と武蔵の国のこの国境に沿って、古代より国境の道と呼ばれる道があり、細いながらも海と内陸部を結ぶ重要な道となっていたそうです。
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江の島弁財天道標この道標は管を用いて鍼治療をする管鍼術の考案者、杉山検校が江島神社に参詣する人々の道しるべとして寄進したものと伝わっています。杉山検校は、江の島弁財天を厚く信仰していたと云われています。
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ほしのや道道標横浜市泉区の県立松陽高校の前に立つ「ほしのや道」の道標。これは、坂東三十三観音八番札所、座間の「ほしのや観音」への道標とのこと。また「ほしのや道」は、宮沢の六道の辻・松陽高校前・新橋小学校前を経て、現..
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桜ヶ丘の石碑横浜市保土ヶ谷区桜ケ丘の月見台交差点(五差路)の北側角にある小さな石碑。この石碑は嘉永6年(1853年)ペリー来航の年に、当時の二俣川村と帷子町が協力して桜ヶ丘を通る新道をつくり、その記念に建てられた..
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大山道と金倉道の分かれ道大山道とは江戸中期以降江戸の庶民が大山詣に利用した道で、各地から約30のルートがあるそうです。また鎌倉道は各地から鎌倉に至る道の総称。この地点(横浜市の大池公園の東側)は東に行けば程ヶ谷宿、南に行けば..
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北緯40°ライン(男鹿半島)秋田県の男鹿半島には北緯40°ラインが通っていて、そのモニュメントもあります。しかし、このモニュメントは南北に石柱が並べられ、この石柱列が北緯40°ラインと勘違いされていることも多いようです。実際の北..
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江ノ島弁財天道標遊行寺橋は、ここから江の島までの約1里(4km)を結ぶ江の島道の起点。 明治初期まではこの橋の袂に、江の島道の入口を示す江島神社の一の鳥居 と呼ばれた大きな鳥居があり、鳥居の脇には道標が立てられて..