記事「遺跡」 の 検索結果 1938 件
-
京都紹介・・・前方後円墳の痕跡を残す外周路のある上ノ山古墳近辺平安京のできるまで、この地にはどういう人々が生活を営んでいたのか?民族移動の時代なので、多くの変遷があったのだろう。墳墓の作り方である程度の推測ができるので、調べればそれはそれを知る鍵という。山田葉室..
-
京都紹介・・・月読神社奥にある松尾山古墳群古墳の現地調査に同行して、月読神社の奥にある谷を崖登りのようにして山頂にたどり着いた。記録にあるように、そこには石室のある大きな円墳が数基残存していた。道なき道を登るようなところなので、このような調査..
-
京都紹介・・・西芳寺川上流にあるボウジョウ古墳群遺跡調査に同行させていただいて、京都に非常に多くの古墳が残されていることを知った。しかし、そのほとんどは崩壊しているか、取り壊されているのを見ることになった。西京区の苔寺横に流れる西芳寺川を苔寺からお..
-
京都紹介・・・京北上中町の八幡宮社と宮ノ谷に残される古墳群古墳の現地調査に同行すると、神社や祠と古墳とが深くかかわりあっていることに気づかされる。多くの神社は古墳を守るように佇んでおり、祠はその古墳を拝むように設けられている。その地の鎮守はそこに力を持った豪..
-
京都紹介・・・京北周山町の山上に残る明智光秀の築城になる周山城跡プロの方と遺跡調査に京都を巡るようになって京都の山城跡を教えられた。今まではそういうものがあったとしても目に入らなかったが、それが何かということを教えられると、歴史が地表に刻まれて、長い時間静かに眠っ..
-
京都紹介・・・山科本願寺の蓮如廟と石風呂の発掘調査中世の戦国時代中頃に山科には蓮如の山科本願寺という土塁で囲まれた城郭になる寺院があった。現在は東西75m、南北60m、高さ7mの巨大な土塁跡が山科中央公園に残り、蓮如廟が傍にある。このたび9月7日の新..
-
京都紹介・・・洛西散策の森と京都西山の山城「沓掛城跡」遺跡調査に同行して、京都には山城跡が多いことを教えられた。老の坂から西山に連なる尾根筋にも南北朝時代や戦国時代の沓掛城なるものが存在した。山陰と都を結ぶ交通の要衝の地であり、監視と防御の為に設けられた..
-
京都紹介・・・南北朝や戦国時代の戦いで多くの血を吸った雲母坂(きららさか)に残る遺構や遺跡修学院離宮の南を流れる音羽川の上流は、法然や親鸞も比叡山への道とした雲母坂となる。この道は近江から京都への最短距離にもなり、南北朝の戦いや戦国時代にはここに築かれた山城で、激しい戦闘が繰り広げられ、多..
-
京都紹介・・・古墳の石室の上に建つ大原野にある霊気に満ちた長峰八幡宮神社はその地域の住民の先祖神を祀る氏神として長い歴史を見守り、また崇拝されて静かに佇んでいることが多い。祭神が誰なのかは、歴史の動きを残す年輪に刻まれる指紋のようにも想像してしまう。紅葉の時期には大勢..
-
京都紹介・・・大枝の古墳群にある霊気に満ちた大枝神社と桓武天皇御母陵大枝の地は首塚大明神と同じようにこの地の先住豪族にかかわると思える古墳が数多く残っている。桂坂にある古墳の森もその群集墳として確認できるが、大枝神社にも古墳が残っており、この神社もそれを守るように神社..
-
京都紹介・・・古墳の上に立つ老ノ坂にある霊気に満ちた「首塚大明神」国道9号線を亀岡に向かう老ノ坂トンネル手前の細い道を左に折れ、突き当りの旧山陰街道をまた左に行くと突き当りに首塚大明神がある。機会があって古墳調査と遺跡確認にグループでここを訪れ、霊気に満ちた史跡とし..
-
京都紹介・・・古墳がいっぱいの京都の嵯峨野や太秦の地京都は古代より松尾から嵯峨野にかけては秦氏の勢力圏だった。桂川に堰を築き、嵯峨野を灌漑して豊かな農地を作り、生産力を高めた技術は京都に大きな影響を及ぼしただろう。権勢を誇る首長墓は嵯峨野や太秦に数多く..