記事「遺跡」 の 検索結果 1938 件
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横浜の史跡の紹介(ブラフ溝)山手地区は丘陵地帯であるため、昔は雨水を流すのに坂道の脇に石造側溝を設けていたという。その名残はほとんどないですが、元町公園沿いの額坂辺りに一部、残っています。また、元町公園の坂の上には写真のように..
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横浜の史跡の紹介(ジェラール水屋敷地下貯水槽)元町公園から少し下ったところに水屋敷跡があります。ジェラールの水屋敷は、横浜の市街地の井戸水は塩分を含んでいて、飲用には適していませんでした。丘陵地帯は良質の湧水が多く、ジェラールは山手の麓の水源を..
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横浜の史跡の紹介(ジェラールの亙工場と水屋敷跡)元町公園内にある「ジェラールの亙工場と水屋敷跡」は、ここに湧き水があることからできたようです。説明板には次のように説明されています。 『この地は、明治初年フランス人アルフレッド・ジェラールが、..
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横浜の史跡の紹介(山手80番館遺跡)山手本通のエリスマン邸から元町公園に下る途中に、山手80番館遺跡があります。山手周辺にある西洋館の中で、関東大震災後に再建されないでそのまま残っているのが、山手80番館遺跡です。この西洋館はレンガ造..
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横浜の史跡の紹介(ゲーテ座跡、現在:岩崎博物館)港が見える丘公園の入口の前にデーテ座跡がある。ゲーテ座は1870年に出き、収容人員は350人のわが国初の本格的演劇場であった。関東大震災で倒壊したまま再建されなかったところ、1980年に岩崎学園が博..
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横浜の史跡の紹介(クリーニング業発祥の地)港が見える丘公園の脇にある谷戸坂を少しの上った左側に、クリーニング業発祥の地の記念碑があります。(地図) 碑には次のようにあります。 「安政六年、神奈川宿の人青木屋忠七氏、西洋洗濯業を横..
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外国人居留地の発掘現在、開港当時の外国人居留地において遺構調査が行われているという記事が読売新聞に載っていました。探してみると、山下町48番地で発掘調査が行われていましたが、高い塀で囲われているため様子がわかりません..
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横浜の史跡の紹介(横浜ボーリング発祥の碑)12/13の読売新聞で、「港を碑楽」シリーズに「ボウルとピンをあしらう」という記事が載っていました。記事を読むと、日本で最初のボーリングは長崎のようで、横浜は2番目だったようです。碑の建ってのは、港..
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横浜の史跡の紹介(旧英国海軍物置所護岸跡)読売新聞の「港を碑楽」に、「開港時ここまで海」という記事が載っていました。ここは流石に知りませんでした。開港時に駐留した英海軍がこの地に物置所を作った護岸が保存されて記念碑があります。開港当時は、山..
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横浜の史跡の紹介(メダリオン)読売新聞の「港を碑楽」の欄に、メダリオンとあった。これはなんだろうと記事を読んでみると、最初フランス軍が駐屯していたところが、撤退後にフランス領事館となった。その領事館の外壁あった装飾品が、港が見え..
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横浜の史跡の紹介(西洋歯科医学発祥の地)万永元年(1860)に、歯科医師として来日したクラーク博士が明治14年に診療所を開設したのが始まりです。クラーク博士は日本人の歯科医師育成に尽力したことが高く評価されて日が出来たようである。しかし、..
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横浜の史跡の紹介(日本国新聞発祥之地)中華街の関帝廟通りの歩道に、「日本国新聞発祥之地」の碑が建物側に向いて建っています。1850年の開港の時に、米国領事館の通訳として帰国した浜田彦蔵が、海外のニュースを翻訳、編集して日本としてはじめて..