記事「金子光晴」 の 検索結果 18 件
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7 24.1.25 誰もが経験したあのこと 詩人の場合金子光晴は数年間を暮らした京都での幼い日々を回想して綴っている。 『詩人』(講談社文芸文庫)によると、金子の家の裏に住んでいた勝子という 8歳の娘が金子と友人の2人を人目につかない物置小屋に誘った..
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変節じぶんにむけての変節は、 ときには進歩であり、 ときには美徳でさえある。 (詩人 金子光晴)
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朗読「赤身の詩」さざ氏のブログにて「赤身の詩」という詩を見つけ、 とても印象的な詩だな…と思い、本日朗読しました。 さざ氏のブログ http://saza.at.webry.info/201511/arti..
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視界ランボオの『地獄の季節』の,小林秀雄訳, また見付かった, 何が,永遠が, 海と溶け合う太陽が。 が好きなのだが,あるところで,金子光晴の訳を見た。 とうとう見つかったよ..
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本の読み方:時間をかけて、わがままに(金子光晴)別に本の読み方なぞ各人勝手にやればいいのだが、金子光晴エッセイ・コレクション『異端』(ちくま文庫)に表記があって、我が自己流読書術と通じるものがあった。金子光晴は我が贔屓の詩人であるから、ついつい脂..
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金子光晴「おっとせい」(詩集『鮫』1937)表記の詩は名前だけ一人歩きして、有名でも実際に読んだ人は少ない(と思われる)し、而も購入困難でさえある。金子光晴詩集という類いの選集に掲載されないことが多い。私がようやく見つけたのは、角川春樹事務所..
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金子光晴エッセイ集『反骨』から前出『反骨』に「小さな善人になるな」(初出1969、冬樹社『文学的断想』)という掌編がある。なかなか刺激的な文句が随所にある。私がそうだよな、そうだろうなと思った箇所を前後の文脈をかなり端折って、以..
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金子光晴:反戦運動への天の邪鬼の憂さばらし愈々政権交代が実現して「友愛」を掲げる鳩山民主党政権が誕生する訳だが、話題にならなかった国防や安全保障に関連して、表記(初出は1973年)から反戦運動なるものを考察するのも悪くないだろう。北朝鮮の脅..
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金子光晴:戦前外地で一旗あげようとした連中金子光晴エッセイ・コレクション2『反骨』(ちくま文庫)所収「さまざまな亡命者」(初出『伝統と現代』1971.1)から。 もうズバリ結論になってしまうが金子はこう言っている。 右翼その他、..
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オールド上海:金子光晴「支那浪人の頃」金子光晴は1926年3月、妻の森三千代を伴い上海に渡り1ヶ月程逗留したのを皮切りに、翌1927年2月末から国木田虎雄と旅行、更には1928年11月、三千代の男性関係整理の為に決めた二回目の欧州旅行の..
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名前を変えてみたい人、いるよね金子光晴はその著『這えば立て』(中公文庫)所収「名前のことなど」で金子光晴という名前が嫌になったときのことを書いている。最晩年の昭和50年3月(80歳)初出の文章だ。 「僕の場合は、名前の好..
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金子光晴「問答」(詩集『三人』から)光晴、森三千代、乾の親子三人は戦時中、山梨県平野村に戦難を逃れて疎開した。それは兵役年齢に達した病気がちの一人息子を兵役逃れさせる為でもあった。天からあの戦争の愚劣さを嫌っていた光晴に最愛の一人息子..
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