記事「鉄道、列車」 の 検索結果 1901 件
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私なりに振り返る平成 鉄道2私が国鉄全線を完乗したのは昭和58(1983)年10月だった。平成に入って間もなく東京の会社に転職した私は関東をベースに、今度は「日本の鉄道」のすべてを乗車する目標を掲げた。JRの新規開業路線や私鉄は..
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私なりに振り返る平成 鉄道1私の趣味である鉄道も平成の30年間、大きく変貌を遂げた。昭和の終わりには国鉄分割民営化、青函トンネルや瀬戸大橋線の開業で、平成の時代は鉄道にとって新しい時代が来ると期待した。山形、秋田、長野、九州、北..
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写真展 サブの展示物でも手を抜かず写真展ではメインとなる市電のパネル写真にプラスして、さまざまな関連資料やグッズなどを陳列し、来客者にボリューム感と展示の選択を広げてもらった。結果的には、私たちの説明の補足に別の資料が使われ、そこから..
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丸太町通りの系統「こ」「な」「に」(壬生)2021/5/15訂正の上再投稿昭和3(1928)年6月に千本丸太町~円町間、昭和5年3月に熊野神社前~天王町間が開通して丸太町線が全通した。昭和10年3月、系統番号が平仮名に変わってからは、丸太町通りを東西に運転する運行形態が取ら..
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地下鉄開業の日の快挙先日5月29日は京都の「地下鉄の日」であった。昭和56(1981)年5月29日、北大路~京都間に烏丸線が開通し、京都に初めて地下鉄が走ったことに因んで色々なイベントが開催された。テレビでは貸し切り電車..
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青函トンネルと土木魂北海道新幹線が開業した。昨年の北陸新幹線の時もそうであったが、建設に当たって当社は複数の工区の施工を担当した。日本の新幹線網の整備と社会インフラの構築に会社が貢献することを実感出来て嬉しい。個人的には..
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京都市電 系統の歴史 資料編8 2021/5/11 一部修正投稿京都市電 系統の歴史 宝ヶ池競輪乗入系統 競輪開催日のみ運転。叡電前=元田中 山端=宝ヶ池 <臨1系統>(壬生) 昭和24年12月17日~昭和30年9月1日(休止) 四条大宮~祇園~叡電前~..
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電車内の流儀と常識スマホやタブレット、ゲーム機を電車やバスの中で操作する人が多くなった。と同時に立っていても吊革や握り棒を持たない人が去年から今年にかけ、急激に増えた。両手で操作したり、画面に熱中して、吊革・握り棒を忘..
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ちょっと以前の都電 鬼子母神前界隈先日都市計画の企画展で、人家が都心から護国寺までしかない地図が展示されていた。王子電気軌道(現在の都電荒川線)が大塚まで開通しているから、明治44(1911)年から大正時代の地図だろう。護国寺まで続い..
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京都市電と新幹線2 東山線 今熊野東山通りの今熊野付近では、東海道本線は深い切通の下を走っているが、新幹線は通りの約500メートル西から東山トンネルに入る。坑口からしばらくの区間は開削(オープンカット)工法で建設されたため工事中は、市..
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京都市電と新幹線1 伏見線開業50年を迎えた東海道新幹線であるが、建設に当たっては、 京都市電も2ヵ所で影響を受けた。 高倉陸橋~京都駅南口 京都駅の東側で東海道線を越える高倉陸橋を渡ると、元々伏見線の線路は緩や..
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京都市電の情景 四条烏丸2四条高倉の大丸百貨店を境に、金融機関・証券会社が目立ち始める。その頂点が四条烏丸の交差点だった。昭和40年ごろは三方を当時の都市銀行が占めていた。中でも東北角の三井銀行、東南角の三菱銀行、東隣の富士銀..