記事「陣屋」 の 検索結果 180 件
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間宮氏笹下中里陣屋(神奈川県横浜市磯子区)←陣屋のあった谷戸の現況 間宮氏笹下中里陣屋は、かつて小田原北条氏の重臣で笹下城主であった間宮氏が、江戸時代に徳川家旗本となってから築いた陣屋である。この地域は、戦国期以来の間宮氏の所領で、一説に..
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大久保長安陣屋(東京都八王子市)←陣屋跡の産千代稲荷神社 大久保石見守長安は、徳川家康の家臣である。元は甲斐武田氏に仕えた猿楽師の子と言われ、武田氏滅亡後、徳川家康の重臣大久保忠隣に才腕を認められ、その推挙を受けて徳川家に仕える..
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石巻下野守康敬陣屋(神奈川県横浜市泉区)←陣屋付近の現況 石巻下野守康敬陣屋は、玄蕃城とも呼ばれる。石巻下野守康敬は三河出身の武士で、小田原北条氏3代に仕えた重臣である。「康」の字は北条氏康からの偏諱で、氏政・氏直の治世を支えた。159..
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長津田陣屋(神奈川県横浜市緑区)←陣屋跡地の幼稚園 長津田陣屋は、徳川家旗本の岡野平兵衛房恒の陣屋である。岡野氏は、執権北条氏の流れを汲むと言われ、最後の得宗北条高時の遺児北条時行の末流とされている。伊豆田方郡狩野庄田中を領し、..
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豊島刑部少輔陣屋(神奈川県横浜市金沢区)←豊島明重父子の墓 豊島刑部少輔陣屋は、徳川幕府初期の旗本豊島刑部少輔明重の居館である。明重は、武蔵の名族豊島氏の後裔とされる布川城主府川豊島氏の一族四郎兵衛頼重の子で、小田原北条氏に仕えていたが..
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米倉氏六浦藩陣屋(神奈川県横浜市金沢区)←陣屋跡地付近 米倉氏六浦藩陣屋は、六浦藩主米倉丹後守の陣屋跡である。米倉氏は甲斐武田氏の庶流で、武田氏の始祖新羅三郎義光の三男義清の孫義行を祖とし、その孫信継が甲斐国八代郡米倉郷に入部して米倉氏..
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永井監物陣屋(神奈川県横浜市戸塚区)←堀跡か? 永井監物陣屋は、徳川家康の旗本永井白元の陣屋である。この地域は鎌倉古道や東海道が通る交通の要衝であった為、平安時代以降、俣野氏・横山氏・永井氏と3つの館が構えられていた。徳川氏が関東に..
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守屋左太夫陣屋(神奈川県相模原市)←陣屋跡 守屋左太夫陣屋は、江戸時代初期に津久井の代官を務めた守屋左太夫が陣屋を置いた場所である。守屋左太夫は、元々は小田原北条氏麾下の津久井衆36騎の一人で、北条氏滅亡後の1608年から徳川氏に..
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喜多見屋敷(東京都世田谷区)←慶元寺の参道 喜多見屋敷は、江戸氏の末裔である喜多見氏3代の陣屋跡である。鎌倉時代初期に江戸太郎重長の次男武重が木田見の姓を名乗り、木田見郷に居館を築いて江戸防衛の第一線としていた様である。江戸..
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伊奈氏陣屋(埼玉県伊奈町)←二ノ丸付近の土塁跡 伊奈氏陣屋は、伊奈氏屋敷とも呼ばれ、関東に入封した伊奈氏が築いた陣屋である。伊奈氏の事跡は、赤山陣屋でも記載したが、小田原北条氏滅亡後、関東に入国した徳川家康に従って入封した..
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赤山陣屋(埼玉県川口市)←本丸西側の堀跡 赤山陣屋は、赤山城とも呼ばれる。1590年、豊臣秀吉によって小田原北条氏が滅び、関東に徳川家康が入部すると、伊奈氏もこれに従って関東に入国した。当初伊奈氏は初代熊蔵忠次が小室など..
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高畠城(山形県高畠町)←水堀跡 高畠城は、古くから陸奥・出羽の交通の要地であった高畠に築かれた平城である。一説には、平安時代末期の承安年間に藤原秀衡の従兄弟樋瓜五郎季衡が築城したと言われている。伊達氏が置賜に侵攻すると..