記事「高橋虫麻呂」 の 検索結果 43 件
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9-1811墓の上の 木(こ)の枝靡けり 聞きしごと 茅渟壮士にし 寄りにけらしも墓の上の 木(こ)の枝靡けり 聞きしごと 茅渟壮士にし 寄りにけらしも 墓上之 木枝靡有 如聞 陳努壮士尓之 依家良信母
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9-1810芦屋(あしのや)の 菟原娘子(うなひをとめ)の 奥城を 行き来と見れば 哭(ね)のみし泣芦屋(あしのや)の 菟原娘子(うなひをとめ)の 奥城を 行き来と見れば 哭(ね)のみし泣かゆ 葦屋之 宇奈比處女之 奥槨乎 徃来跡見者 哭耳之所泣
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9-1809葦屋の 菟原娘子(うなひをとめ)の葦屋の 菟原娘子(うなひをとめ)の 八年子(やとせこ)の 片生(かたお)ひの時ゆ 小放(をばな)りに 髪たくまでに 並び居る 家にも見えず 虚木綿(うつゆふ)の 隠りて居れば 見てしかと いぶせむ時の..
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9-1808勝鹿の 真間の井見れば 立ち平(なら)し 水汲ましけむ 手児名し思ほゆ勝鹿の 真間の井見れば 立ち平(なら)し 水汲ましけむ 手児名し思ほゆ 勝壮鹿之 真間之井見者 立平之 水□家武 手兒名之所念
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9-1781海つ道(ぢ)の なぎなむ時も 渡らなむ かく立つ波に 船出(ふなで)すべしや海つ道(ぢ)の なぎなむ時も 渡らなむ かく立つ波に 船出(ふなで)すべしや 海津路乃 名木名六時毛 渡七六 加九多都波二 船出可為八
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9-1780ことひ牛の 三宅(みやけ)の潟に さし向ふ 鹿島の崎に さ丹塗りの 小舟(をぶね)を設(ことひ牛の 三宅(みやけ)の潟に さし向ふ 鹿島の崎に さ丹塗りの 小舟(をぶね)を設(ま)け 玉巻きの 小楫繁貫(をかぢしじぬ)き 夕潮の 満ちのとどみに 御船子(みふなこ)を 率(あども)ひたてて..
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9-1760男神(をかみ)に 雲立ち上り しぐれ降り 濡れ通るとも 我れ帰らめや男神(をかみ)に 雲立ち上り しぐれ降り 濡れ通るとも 我れ帰らめや 男神尓 雲立登 斯具礼零 沾通友 吾将反哉
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9-1759鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に 率(あども)ひて 娘子壮士(鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に 率(あども)ひて 娘子壮士(をとめをとこ)の 行き集ひ かがふかがひに 人妻に 我も交らむ 我が妻に 人も言問へ この山を うしはく神の 昔..
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9-1758筑波嶺の 裾廻(すそみ)の田居に 秋田刈る 妹がり遣らむ 黄葉手折(もみちたを)らな筑波嶺の 裾廻(すそみ)の田居に 秋田刈る 妹がり遣らむ 黄葉手折(もみちたを)らな 筑波嶺乃 須蘇廻乃田井尓 秋田苅 妹許将遺 黄葉手折奈
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9-1757草枕 旅の憂(うれ)へを 慰(なぐさ)もる こともありやと 筑波嶺(つくはね)に 登りて草枕 旅の憂(うれ)へを 慰(なぐさ)もる こともありやと 筑波嶺(つくはね)に 登りて見れば 尾花散る 師付(しつく)の田居(たゐ)に 雁(かり)がねも 寒く来鳴きぬ 新治(にひばり)の 鳥羽(とば..
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9-1756かき霧(き)らし 雨の降る夜を 霍公鳥 鳴きて行くなり あはれその鳥かき霧(き)らし 雨の降る夜を 霍公鳥 鳴きて行くなり あはれその鳥 掻霧之 雨零夜乎 霍公鳥 鳴而去成 □怜其鳥 九州八十八湯 第36湯 湯川内温泉 かじか荘
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9-1755鴬(うぐひす)の 卵(かひご)の中に 霍公鳥(ほととぎす) 独り生れて 己(な)が父に鴬(うぐひす)の 卵(かひご)の中に 霍公鳥(ほととぎす) 独り生れて 己(な)が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺(のへ)ゆ 飛び翔(かけ)り 来鳴き響(とよ)もし ..
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