記事「ETUDE」 の 検索結果 222 件
-
etude53(写真は、花と梅の木オーナーさま) ペリーとプチャーチンがあらわれときのこと、 それはどういう偶然なのか、 べつに示しあわせたわけでもないのでしょうに、 米国のペリーが嘉永六年六月三日..
-
etude52私、ゴンチャローフは、秘書官とは名ばかりで、 じつは小説家なのです。 ですから、いかに外交交渉とはいえ、 こんなにも美しい長崎の丘を前にして、 上陸を許されないなんて耐えられません。 ..
-
etude51私、ゴンチャローフは、 いま小笠原諸島にいます。 (エメェ・アンベールは、もうとっくに読み終わりました) 私、イワン・A・ゴンチャローフは、 嘉永六年(1853)の夏に、 ロシア提督..
-
etude50(写真は、昨日の梅の木オーナーさまたち) 連載50回ということで、雑感を記します。 (だれも記念してくれないから、 妻と娘たちが誕生祝いにくれた紅白のワインの 白のほうをグラスにそ..
-
etude49江戸時代の和算が、 ある分野では西欧を抜いていたことも事実です。 関孝和は、 ベルヌーイよりもはやくベルヌーイ数にたどりつき、 ライプニッツよりもはやく行列式の理論を構築していたのです。 ..
-
etude48「鼓腹撃壌」という言葉を思いおこします。 (日出でて作き、 日入りて息う。 井を鑿りて飲み、 田を耕して食う。 帝力我に何かあらんや) 以前慶応大学の論文を..
-
etude47幕末に来日した欧米人の日本観は、 その立場によって見事にわかれます。 オールコック、ミットフォード、サトウ、スエンソンなど、 外交官の見た日本と、 シュリーマン、フォーチュン、アンベール、..
-
etude46昨夜、数人の知人と激論を交わしました。 しかしかれらはみな紳士的で、 口角泡を飛ばしても別れるときは笑顔です。 とても楽しい夜でした。 現代日本の政治や官僚制度をどのようにとらえるべき..
-
etude45スイスの参議院議員であり時計業組合の会長でもある エメェ・アンベール氏の『絵で見る幕末日本』は、 以前ご紹介したことがあります。 エメェ・アンベールは、 オールコックやアーネスト・サトウの..
-
etude44アーネスト・サトウは英国へ帰ってしまいました。 19歳なかばで動乱の日本を訪れ、 それから6年半の青春の日々を、 維新の志士たちとともにすごしたあと、 明治政府の成立を見とどけて帰国しまし..
-
etude43英国特命全権公使ハリー・パークス卿とともに、 ミットフォードだけが天皇の謁見を許されたのは、 イギリス本国で、彼が宮廷に伺候した経験があったからです。 ペリー来航以来、 諸外国の人々が交渉..
-
etude42鳥羽伏見の戦いのあと、 備前事件、フランス水兵虐殺事件、 天皇謁見の日の朝のイギリス公使襲撃事件、 と立てつづけに血なまぐさい事件が起こります。 備前事件の射撃指揮をした滝善三郎の、切腹の..