記事「ETUDE」 の 検索結果 222 件
-
etude65どんでん返しが待ちうけていました。 安政七年正月二十二日(1860年2月13日)に 横浜を発ったパウアタン号は、 遣米使節団七十七名を乗せて、 ホノルル、サンフランシスコ、 パナマを経由..
-
etude64攘夷、その言葉のひびきは、 日本人の琴線をここちよくふるわせる何かがあります。 ユダヤの選民思想にも似て、 内向的でひとりよがりな思想です。 神州日本の土を夷狄に踏ませてはならぬ、 ..
-
etude63いまのいわゆるホワイトハウスは、 当時はエグゼクティブ・マンションと呼ばれていたようですが、 幕府の遣米使節団一行は、 日米修好通商条約の批准のためにそこを訪れました。 260年の鎖国を解..
-
etude62つまるところそれは神、と思うのです。 神がつくり給うたこの世は、 いったいどのような構造になっているのか、 彼らはその仔細を知りたいと われらの想像を遙かに越えた知的欲求をもつのでしょうか..
-
etude611860年(万延元年)遣米使節団、 珍道中のつづきをご紹介します。 ******************** 「○○○○○○○のためのエチュード」 連載61回 (『万延元年の..
-
etude60吉村昭の『生麦事件』を読んでいて、 佐賀藩や薩摩藩の科学技術力におどろきました。 佐賀藩では、 ペリー来航の前から反射炉の建設をはじめているのです。 そこで、鉄製大砲や蒸気機関を造りあ..
-
etude59徳川慶喜が大阪城を抜けだした理由が ぼんやりとわかるような気がしてきました。 もちろん肯定しているわけではないのです。 ただ、 尊皇攘夷を叫んで白刃を振りまわす脱藩浪士たちと、 ロン..
-
etude58使節団の目的は、 修好通商条約の延期ということだけれど、 西欧文明の視察が 最もおおきな目的のひとつであったように思います。 開国の是非を判断するために、 夷荻の文明をひと目見ておこうと..
-
etude57しばらく幕末日本を離れて、 1962年(文久二年)に西欧を訪れた日本使節団を、 ヨーロッパの人々がどのように見たのか、 それを当時の新聞記事などからながめてみましょう。 月代をそり上げ、丁..
-
etude56「○○○○○○○のためのエチュード」 連載56回 (『ゴンチャローフ日本渡航記』イワン・A・ゴンチャローフ ロシア秘書官・作家 1853年~1854年滞日) プチャー..
-
etude55私ゴンチャローフは、 日本の対応の緩慢さに業をにやして、 いったん上海にもどりましたが、 ひと月半ほどしてふたたび長崎に帰ってまいりました。 そして、ようやく幕府全権団と 交渉の場につく..
-
etude54ペリーから順序立てて読めばよかったのでしょうけれど、 手当たりしだいに幕末訪日録を読んだものですから、 最初に読むべきゴンチャローフをいまになって読むことになって、 かえって幕府のうろたえぶりが..