記事「ヒンドゥー教」 の 検索結果 492 件
-
ヨガナンダ「あるヨギの自叙伝」(5)●「他人の穏やかな忠告にさえ不快や反感を生ずる心の弱さは、ちょうど、どんなにそっと扱われても痛がる病体の患部のようなものだ」。先生は笑いながら、軽薄な人間をこう批評した。●スリ・ユクテスワの許に入門し..
-
ヨガナンダ「あるヨギの自叙伝」(4)●若い弟子の証言「コブラが僕たちに突進して来ると、先生はまるで子供をあやすように蛇に笑いかけ、手拍子を打ち始めた。蛇は先生の愛の磁力に射すくめられたように全然動かなくなった。後になって、先生がどんな生..
-
ヨガナンダ「あるヨギの自叙伝」(3)●思い切り泣くと、別人に生まれ変わったような気分になった。あらゆる愛着が跡形もなく消えて、何ものにも勝る友としての神を求めようという決意が磐石のように定まったのだ。ヒンドゥー教の聖典では、神の探求が肉..
-
ヨガナンダ「あるヨギの自叙伝」(2)●タイガー・スワミ「肉体を支配するものは精神だ。ちょうどハンマーの打撃力が、それに供給されるエネルギーの大小によって決まるように、人間の肉体が発揮する力も、本人の積極的意思と勇気に比例する」「肉体的弱..
-
ヨガナンダ「あるヨギの自叙伝」(1)●グル(Guru)…サンスクリットの語源は「闇(gu)を追放する者(ru)」●遠い前世についての記憶は、何も私だけの特別な能力ではない。多くのヨギたちは、劇的な生死の境を越えるにあたっても、自己意識を..
-
クリシュナムルティ「知恵のめざめ-悲しみが花開いて終わるとき」(2)●「思考」は国家・民族を考案してきたし、人々の間に「分割」をもたらす。思考は、戦争・葛藤・抗争などの問題を生み出してきた。そのとき思考は、これらの問題を解決しようとするのだ。いいですか。あなたは思考を..
-
シュリ・ラマナシュラマム「沈黙の聖者-ラマナ・マハリシその生涯と教え」(4)●「ハートの洞窟の奥で、ブラフマン(絶対者)のみがアートマン(真我)の形で私として直接に輝いている。心の探求をしながら、ハートの中へと入り込みなさい。奥深く潜り、あるいは呼吸を整えることによって、真我..
-
シュリ・ラマナシュラマム「沈黙の聖者-ラマナ・マハリシその生涯と教え」(3)●昔、私も彼のように十代の内に世俗と縁を切り、彼の足元に馳せ参じるべきかどうかと悩んだことがあったが、一言も口に出さなかった。にもかかわらず彼はこう答えてくれた。「凧はどんなに空高く舞い上がっても、い..
-
シュリ・ラマナシュラマム「沈黙の聖者-ラマナ・マハリシその生涯と教え」(2)●【私は誰か】 心が静まらない限り、純粋な「真我」は悟られることはない。心は「想念の束」以外の何ものでもない。全ての想念の中でまず第一にあげられるものは、心の根源にある「私」という想念だ。それゆえ「私..
-
シュリ・ラマナシュラマム「沈黙の聖者-ラマナ・マハリシその生涯と教え」(1)BHAGAVAN SRI RAMANA; A Pictorial Biography by Sri Ramanasramam柳田侃訳 出帆新社(1998/09)ISBN-10:4915497364●御..
-
旅のお話ver10~インドの神聖なる側★ガンジス川~ガンジス川 in バラナシバラナシ(Varanasi)はインドの北部、ウッタル・ブラデーシュ州に位置する都市です。「ワーラーナシー」、「ヴァーラーナスィー」などとも表記されるほか、かつては「ベ..
-
オショー・ラジニーシ「死・終わりなき生」(8)●死ぬ技術を学ぶものは、生きる技術の大家になる。死に応じる者が、至高の生を生きるに相応しい者となる。いかに己を消し去るかを知った者だけが、いかに在るかを知るようにもなる。●本来一つのものを別個の部分に..