記事「ヒンドゥー教」 の 検索結果 492 件
-
オショー・ラジニーシ「死・終わりなき生」(7)●海原で一つの波が立つ。その波が波のままで居続けたいと望んだとしても、それはできない。波は死ぬより他にない。氷になるなら話は別だ。波が硬くなれば、それなら生き残れる。だがそれはもはや波ではない。氷、そ..
-
オショー・ラジニーシ「死・終わりなき生」(6)●死は未来において起こるのではない。死はすでに毎瞬間起こっている。未来において「完成」するものではあるが、刻一刻と現実に起こっている。ここに一時間坐っていれば、一時間死んでゆく。死は決してにわかに起こ..
-
オショー・ラジニーシ「死・終わりなき生」(5)●病気の大半は、単なるまやかしだ。世界中の病の蔓延の影にあるのは、病気の増加ではない。人間の欺瞞が増えているのだ。知識が増え、経済状態が良くなれば病気の数は減るはずだが、そうなってはいない。これは、人..
-
オショー・ラジニーシ「死・終わりなき生」(4)●死に打ち勝つというのは、「単に死などないと知ること」にすぎない。死が存在しないと知ること、それが死を征服することだ。死が存在しないことに気づいた瞬間、進行中の死との負け戦は終わる。死は真の実体を持た..
-
オショー・ラジニーシ「死・終わりなき生」(3)●あなた自身の内に、あなたに最も近い者の内に神を見ることができないで、どうして遠く離れたものの内に、一切の内に神を見ることができよう。まず自分の中の神を知らねばならない。まずは本人が神性を知らねばなら..
-
オショー・ラジニーシ「死・終わりなき生」(2)●実のところ、死と誕生は2つの出来事ではない。一つの現象の両端、ちょうど「コインの表裏」のようなものだ。死が意識ある状態で起これば、誕生も必ず意識ある状態で起こる。死の時にあって完全に意識に満ちて死ね..
-
オショー・ラジニーシ「死・終わりなき生」(1)And Now, and Here:Discourses from the Meditation Camp at Dwarka, Gujarat, India by Osho Rajneeshオショー..
-
クリシュナムルティ「生と覚醒のコメンタリー4」(3)●自我がないとき、我々は「愛」を、個人的または非個人的、世俗的または神聖と呼ばれるところの愛ではなく、「解釈を挟む精神なしの愛」を知る。●我々が「不満」なのは、我々が「満足すべき」だと考えるからだ。我..
-
クリシュナムルティ「生と覚醒のコメンタリー4」(2)●いわゆる宗教団体は決して精神を解放しない、それらは単にそれを一定の信条または信念に適合させるに過ぎない。●君の信念や意見は、君が住んでいる社会によって君に与えられてきたものなのだ。それに対して、反応..
-
クリシュナムルティ「生と覚醒のコメンタリー4」(1)大野純一訳 春秋社新装版(2005/04)ISBN-10:4393316444●「神を探求することは重要ではないのですか?」 恐れ、妬み深く、欲深い精神が、いかにしてそれ自身を超越したものを発見し得よ..
-
クリシュナムルティ「生と覚醒のコメンタリー3」(4)●愛の行為は動機を持たない。それに対して他の全ての行為には動機がある。●あなたの精神がすがりついているこの「私」は、財産との、名前との、家族との、失敗と成功との、あなたがあった、またはありたいと欲して..
-
クリシュナムルティ「生と覚醒のコメンタリー3」(3)●どの党も、何が民衆のためになるかを知っていると思っている。しかし本当にためになるものは、国内・外国においても敵意を生み出しはしないだろう。それは人と人との間にユニティをもたらすことだろう。●権威を問..