記事「京都観光」 の 検索結果 1294 件
-
井戸の底の不動明王京都駅の近くに、不動堂明王院というお寺があります。このお寺には、空海さんが、霊石に不動明王を彫刻し、石棺に納めて、井戸の奥底深くに安置したと伝わっています。この地が、東寺の鬼門(東北)に当たる..
-
寺社の縁起寺社の縁起がどのように変遷していくかについて、考えてみたいと思います。 一つの例として、以前ご紹介した吉田寺を挙げます。吉田寺は、江戸時代に廃寺になって現在は存在しません。笹川尚紀氏によ..
-
銀閣寺正式名称を東山慈照寺といいます。金閣寺とともに、臨済宗相国寺の塔頭寺院の一つです。 よく、室町幕府八代将軍の足利義政さんによって造られたお寺ということが言われますが、義政さんが造営した山..
-
野宮神社京都の嵯峨野に、古い伝統のある野宮神社があります。未婚の内親王(親王宣下を受けた天皇の皇女)等から、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王が選ばれました。この斎王が、伊勢へ行く前に身を清めたのが..
-
等持院等持院は、足利尊氏さんが、足利氏の菩提寺である等持寺も別院として建立されました。その後、この等持寺も等持院に移されて、等持院が足利将軍家歴代の菩提所となりました。そのため、尊氏さんの墓所を見る..
-
真如堂縁起絵巻京都の真如堂(正式名称:真正極楽寺)に、室町時代後期に描かれた「真如堂縁起絵巻」があります。 上中下3巻から成り、上巻は本尊阿弥陀如来について、中巻は真如堂創建の由来、そして下巻が真如堂..
-
福大明神社京都に、小祠として民家の中にある福大明神社があります。ここに祀られているのが、紀貫之という説や荼吉尼天という説があります。 荼吉尼天は、インドでは夜叉・羅刹でしたが、その後仏教に帰依した..
-
大豊神社887年に、宇多天皇の病気平癒祈願のために、医薬の祖とされる少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀って創建されたと言われています。後に、応神天皇と菅原道真公が合祀されました。御存じのように、宇多..
-
下御霊神社京都の下御霊神社では、8人の神様が祀られていますが、その2人は、伊予親王とその母藤原吉子大夫人です。 伊予親王は、桓武天皇の子供で、平城天皇の異母弟になります。平城天皇の治世、朝廷が、藤..
-
祇園御霊会前回、神泉苑御霊会のお話をしましたが、その後御霊会は広がっていきます。その代表の一つが、祇園御霊会です。 869年に、全国レベルで天災が起こり、社会不安が広まったことから、全国の国の数を..
-
神泉苑御霊会平安時代、京では、疫病がたびたび流行しました。当時、疫病の原因を怨霊による祟りとしてとらえられていました。 そのため、863年に、神泉苑で御霊会が行われることになります。このとき、鎮める..
-
東寺前回、最澄さんのお話をしましたので、今回は空海さんです。 空海さんは、唐の長安に留学し、最澄さんよりも1年遅れて帰国しました。空海さんの加持祈祷を中心とした密教は、貴族社会に受け入れられ..