記事「京都」 の 検索結果 58633 件
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黒谷金戒光明寺・・・三重塔黒谷金戒光明寺は幕末では京都守護職となった会津藩の松平容保と新撰組の歴史があり、平安時代末期には、熊谷直実と法然上人にゆかりが深いお寺である。 吉田山に繋がる神楽岡にあり、一段高いこの丘にあるこ..
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黒谷金戒光明寺・・・会津藩殉難者墓地三重塔の先の墓地を行くと会津藩殉難者の墓地がある。 幕末の京都では暗殺や強盗は当たり前の状態となっていた。 会津藩主松平容保は家臣1000名を率いて1862年に京都入りする。 そして、ここ金..
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黒谷金戒光明寺・・・極楽橋三重塔の上がり口に極楽橋が架かっている。 橋の下の蓮池を兜の池と呼んでいる。 平安末期の源平合戦で有名な熊谷直実が、この地に庵を結んでいた法然上人を訪れて、出家を決意して兜を置いて、弓の弦を切..
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黒谷金戒光明寺・・・山門丸太町通りがある南に向いて立派な山門がある。 この山門は江戸幕府により1860年に350年ぶりに再建されて落慶されている。 古くは1400年ごろに建立され、応仁の乱で兵火に罹り消失されていた。..
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黒谷金戒光明寺・・・鎧掛けの松本堂横の境内に、熊谷直実の鎧掛けの松が立派な姿を見せている。 源平合戦の武将の熊谷次郎直実は、比叡山の黒谷を降りてここに庵を結んでいた法然上人を、1193年に訪ねて方丈裏の池で鎧を洗い、この松の..
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黒谷金戒光明寺・・・御影堂山門を上って境内正面に法然上人の75歳の御影を安置する御影堂がある。 立派なお堂で昭和19年に再建された比較的新しい建築物である。 黒谷さんと呼ばれて親しまれ、浄土宗京都四ケ本山の一つであり、..
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黒谷金戒光明寺・・・紫雲の庭秋の特別公開時に、大方丈東庭園の「紫雲の庭」が公開されている。 このお庭は法然上人の「幼少時代 美作の国」、「修行時代 比叡山延暦寺」、「浄土開宗 金戒光明寺の興隆」の3つのテーマを構成した庭と..
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黒谷金戒光明寺・・・塔頭塞西翁院と澱看席(よどみのせき)金戒光明寺の塔頭の西翁院には重要文化財で茶室の澱看席がある。 千宗旦の四天王の一人藤村庸軒好みの茶室であり、茶室から山崎や淀が見えたことからの名前となっている。 金戒光明寺は訪れてみると良くわ..
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嵯峨釈迦堂 清凉寺 仁王門清凉寺は嵯峨釈迦堂で知られた浄土宗のお寺である。 この壮大な仁王門の前の通りの右手にはにがりを使わないお豆腐で有名な森嘉の豆腐店がある。 いつ来てももお客さんの列が出来ているほど知られている。..
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嵯峨釈迦堂 清凉寺 本堂嵯峨釈迦堂で知られる清凉寺は、愛宕山を中国の五台山に見立てた奝然(ちょうねん)上人が987年に創建し、弟子の盛山(じょうざん)上人が開山した浄土宗の古刹である。 この本堂の建築は江戸時代の170..
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嵯峨釈迦堂 清凉寺 阿弥陀堂清凉寺は895年頃この地に建てられていた棲霞寺の境内に建てられている。 奝然上人が宋より請来した五臓六腑を持つ釈迦の生身の立像を、弟子の盛山上人がそこに安置したことから始まっている。 この地に..
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嵯峨釈迦堂 清凉寺 源融公の墓源融(嵯峨天皇の皇子・左大臣)公の山荘である棲霞観が、この地とされた石碑がある。 源氏物語の光源氏の嵯峨の御堂は大覚寺の南とされ、源融公の棲霞観がここにあり、物語の六条院も、源融公が隠棲した六条..