記事「京都」 の 検索結果 58633 件
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嵯峨釈迦堂 清凉寺 豊臣秀頼公の首塚このお寺の寺宝やお庭の見所も数多いが、境内には史跡が静かに佇んでいる。 豊臣秀頼公の首塚が、本堂の正面左隣にあって供養されている。 この本堂が秀頼公の寄進を受けていること等をゆかりとして、大阪..
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嵯峨釈迦堂 清凉寺 生の六道の碑京都は千年の都の歴史を経た魔界であり、冥界というと小野篁の伝説が踊り出る。 小野篁は昼は宮中に仕え、夜は閻魔庁に通った伝説の人であり、東の鳥辺野入口の六道珍皇寺の井戸から冥界に入り、西の化野(あ..
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嵯峨釈迦堂 清凉寺 嵯峨大念仏狂言京都には三大念仏狂言がある。 一つはこの清凉寺の嵯峨大念仏狂言で、二つに壬生寺の壬生大念仏狂言があり、三つには引接寺のゑんま堂大念仏狂言がある。 3月15日と4月の第2土・日曜と第3日曜に、こ..
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嵯峨釈迦堂 清凉寺 境内の景観清凉寺の広い境内には、お釈迦様の説かれた一切のお経が収められ、一回まわるとその全てを読んだ功徳を授かる一切経蔵や、美しい多宝塔、愛宕権現社等が他にある。 ここの小堀遠州作のお庭も拝観すれば美しく..
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向井去来と落柿舎近辺・・・二尊院(にそんいん)清涼寺から祇王寺、化野念仏寺に向う道を左(南)に取ると二尊院がある。 ここの中は別の機会に紹介するが、門を覗くとこのような紅葉の光景が参道に広がっている。 発遣の釈迦、来迎の阿弥陀の二尊を祀る..
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嵯峨野で供養される向井去来の墓二尊院から落柿舎に向う木立の中に、向井去来の小さなお墓が建っている。 ここを訪れる人は少ないが、芭蕉十哲の俳人で俳諧奉行と呼ばれた人の、落柿舎での供養墓のようである。 11月3日に紹介した真如..
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嵯峨野めぐりの中心点・・・落柿舎俳人の向井去来は1651年に長崎で生まれている。 字は元淵、号を義焉子と名乗り、落柿舎・去来とも称している。 8歳の時に京都に一家揃って居住し、父兄の医業を助け、聖護院に家を構えたが、35歳で..
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のどかな嵯峨野の風景の中の落柿舎落柿舎は芭蕉が三度ここを訪れ、嵯峨日記を著した場所と言われている。 落柿舎の名は、1650年頃この庭にあった40本ほどの柿の実が、一夜で落ちたために買約した商人に約定金を返した話が由来と言う。 ..
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嵯峨天皇皇女 有智子内親王の墓落柿舎の隣は嵯峨天皇皇女の有智子内親王の墓となっている。 有智子内親王は紫野七野神社で紹介した初代の賀茂斎院となった方であり、豊かな文才に恵まれた皇女である。 日本史上数少ない女性漢詩人の一人..
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落柿舎の風景を保存する畑の風景落柿舎と有智子内親王の墓のある風景は、前にある畑で景観が守られている。 非常にのどかな田園の風景が、落柿舎の景観となっている。 この地に家が建たないことで、藤原定家の小倉百人一首のゆかりの地と..
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嵐山 紅葉の名所 宝筺院(ほうきょういん)嵐山の清涼寺の仁王門の前の通りを南に突き当たると宝筺院がある。 最近は知名度が上り大勢の人が訪れるが、以前は隠れた紅葉の名所だった。 院内はイロハモミジが数多く植えられていて、他の花木との調和..
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嵐山 紅葉の名所 宝筺院(ほうきょういん)現在の本堂は大正6年に再興されたものだが、このお寺の歴史も古い。 平安時代に白川天皇により建てられた善入寺が起源である。 室町幕府の足利義詮(よしあきら)が中興開山の黙庵周諭禅師に帰依し、善入..